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そもそも征夷大将軍とは何か?

国家は「宗教」と「政治」の両輪で成り立つ

もともと天皇は、宗教的権威と政治的権力を兼ね備えた存在でした。しかし軍事的な緊張が高まる中で、天皇は軍事組織のトップに政治的実権を委譲することになります。その役職が「征夷大将軍」でした。

天皇は神格化された宗教的権威として崇拝され、征夷大将軍は政治的権力を行使する。今日まで続く日本の二元統治体制が、源頼朝によって完成することになります。

こうした二元統治体制は世界史でもよくあることです。

「教皇」と「皇帝」

キリスト教の場合、ローマ教皇と皇帝の関係性です。

395年、ローマ帝国は東西に分裂。このあと476年に、西ローマ帝国は滅亡します。原因はゲルマン民族の侵入です。

西ローマ帝国滅亡後、ゲルマン民族の国が割拠しますが、最終的に西ヨーロッパを統一したのはフランク王国でした。

800年、ローマ教皇であるレオ3世は、フランク王国のカール大帝に「ローマ皇帝」の冠を授けました(ローマの戴冠)。これは宗教的権威であるローマ教皇が、政治(軍事)的権限を軍事のトップに与えたこと意味します。

「スルタン」と「カリフ」

イスラム教ではカリフとスルタンです。

イスラム教の成立から、カリフはムハンマドの後継者として、宗教と政治の実権を握る存在でした。

しかし11世紀、アッバース朝のカリフが衰退し、当時力を付けてきたセルジューク朝の君主にスルタンという称号を与えました。これにより、イスラム世界ではカリフが宗教的権威を、スルタンが政治的権限を持つという二元統治体制が確立されます。

その後、イスラム世界を支配したのはオスマン帝国です。1517年にエジプトのマムルーク朝を滅ぼしたセリム1世が、アッバース朝のカリフから称号を譲り受けます。そのためオスマン帝国では、1人の君主がスルタンとカリフを兼ねる「スルタン・カリフ制」が成立します。

しかしオスマン帝国では、カリフの称号はあまり意味を持たなかったそうです。

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