吉川英治記念館行ってきました!

元々行ける距離だなと思っていたんですが、正直蜻蛉切展示していた佐野美術館と移動時間が大差なかったのは驚きました。
(蜻蛉切展示は期間中通っていた)
乗り継ぎタイミングが悪いと記念館の方が時間がかかりますね……

でも、行って良かったです。
元々三国志で吉川三国志か北方三国志かで悩んで北方読んだのですが()、記念館の展示や内容を見る限り、ほぼ歴史等々の礎築いたといっても過言じゃないんじゃないでしょうか。
宮本武蔵は流石に知っていましたが、平家物語も書いてたんだな……
あとこの時代の方だと、どうやっても世界大戦を切っても切れない感じになりますね。
これは直近中野重治の批評集を読んだというのもあるのですが、戦争経験者はやっぱり色々思う所があるようで。
中野さんは、共産主義は私は好きではないんですが、とはいえ労働階級が搾取されるのを何とかしたいという事で文学を武器にしたわけですが。
吉川さんは歴史上の人物や、その時代に起こった事を伝わりやすく書いた上で、人としての在り方というのを書いていたのかなぁと思いました。

しかしまぁ、当時だとそうなるなと思うのは、日本の敗戦は当時負けると思ってなかったんだろうな…という所ですかね。
多分ですが、吉川さんも敗戦すると思ってなかったんじゃないのかな。
敗戦後2年もかけなかったとか、ショックの大きさが想像できると思うんですよね。
ただ、すごいなと思ったのは、詩のすべてを覚えてるわけではないのですが「恥ずかしき~」かな?で始まるような、そういう素直な心境を詩にしてるのがすごいなと。
吉川英治についての映像が流れていて、その中で奥様が「少年のような夫のような人でした」的なコメントしていて笑いそうになったんですが、それだけ純真だったんだろうなと。
少年のような……笑。

あとねー、これはクソ偏見なんですけどねー、文アルタイアップで他文豪との関係性とか資料もあったんですが、手紙のやり取り等がちょっとあるくらいで実は他の方との交流資料はそう多く残ってないのかなと思いました。
いや青梅からかな、東京へ引っ越すといって送別会をやる際おおむね300人近く集まったそうですが。
交流少ない人にそこまで集まりはしないはずかなと思うので。今より多生の縁でも来る人がいるとしても、ですよ。
室尾犀星さんとのやり取りが若干あって、そこにはそこまで深い交流があった感じではないのですが、歌舞伎かな、チケットを贈ったりお礼の手紙をしたりと、それ浅い交流でもないですよね?!と思って見たり。
谷崎潤一郎さんへ……あ、何だったかな。忘れた。でも奥さん同士で交流があったらしい手紙とかも展示にあって、これは多分吉川夫婦揃って人のつながり大事にする人だちだったのではなかろうか……?と思って見たりしてました。
菊池寛さんとの交流については、ある程度ネットでも事前情報があったのでなるほど……馬が好きで馬主になってたけど勧めたのはカンニキ……と思って見たりしてました。
川場康成さんとも交流があるのは純粋に驚いたんですが、写真とか見る限りアレだな…?菊池さん→横光さん→川端さんって感じでつながったのでは……?笑。

最後関係ないけど久米さんでけえな?(菊池寛、吉川英治、久米正雄と並んでる写真を見ながら)


私が行ったタイミングが良かったのか、天気が悪かったからのか、人も多くなくゆっくり見れて良かったです。
母屋は中に入って見学出来たんですけど、中でパシャパシャ写真撮りながら
(ここ螢の動画で背景に使いたかったな……!)
(くっ、ここがランプ動画作成前に写真であれば……!!)
とか思いながら撮っていました。いやもうね、囲炉裏とか、勝手口とかマジで写真ほしかったんですよ(何の話)

そんな感じで1人で行きましたが、十分楽しめました。
どうやら文アルタイアップの次は、新・平家物語の特別展があるようです。
確か新・平家物語は吉川さんの最後の長編だったかと。
今回展示をみて、本当行けたら行きたいとは思うんですよね……!いやそれくらい、興味深く面白かったです。

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