#104 大人の読書
どうしようもない人は私たちの周りに一人や二人いるものです。それが赤の他人であれば人間関係を絶ってしまえばすみますが、親戚にいたり、職場にいたりすると、ストレスの原因にもなるものです。
自信満々なのはいいけれど、それ故に人の話やアドバイスを聞かない人。
金銭にだらしがない人
約束を守らない人
時間にいつもルーズな人
要するに社会人としての基本ができていない人のことだと思いますが、自分の周りの人のことをとやかく言う前に、まず自分がその「どうしようもない人」になっていないか見つめてみることも大切だと思います。
辛口の論客で哲学者の適菜収(てきなおさむ)さんは、そのような人のことを、残酷な言葉で「とりかえしのつかない人」と呼んでいます。かなり主観的で乱暴な表現だと不快感を感じる人もいるかと思います。そして、「彼らはどこでとりかえしのつかない人生を歩むようになってしまったのか」という自らの問いに対して、「読書に対する姿勢が大きくかかわっていると思う」と答えています。著書『死ぬ前に後悔しない読書術』
適菜氏の言うところの「とりかえしのつかない人」とは、本を全く読まないか、大人になっても「子どもの読書」を続けている人のことです。じゃあ彼の言う「子どもの読書」とはどんな読書かというと、「知識を得るための読書」をし続けることです。そのような人は大人になっても知識で武装して、それがいいと思っているのだと。それに対して、「大人の読書」とはどういうものかというと、「思考を深め、感性に磨きをかけるための読書」のことで、言い換えると、情報より大切なものを得るために本を読むのだと明快に言っています。
さらに「とりかえしのつかない人」を適菜氏は「薄っぺらい人」と、手厳しく表現しています。たとえば、一流のシェフが作ったフランス料理を食べて「うまい」としか言わなかった友人がいて、その彼は日ごろファーストフードのハンバーガーを食べています。「どっちがうまい」とたずねると、「微妙」と答えた。彼の薄っぺらい感性に、適菜氏は「こいつは本を読んでいないな」と思ったと言っています。また世の中で起きている問題を聞いても、日本史のことを聞いても「別に興味ないし」とその友人は言う。
「薄っぺらい人はいつもそう考える。人は社会や歴史とつながっているのに、本を読んでいない人はそこに価値を見いだすことができない。」
それから、情報をタダだと思っている人も「とりかえしのつかない人」。そういう人は必要な情報をいつもネット検索して得る。「そういうことを繰り返しているとどんどんバカになる。ネット検索だと探している答えだけしか見つからないからだ。大事なのは『答えに辿り着く過程』、すなわち思考回路を作ることだ」とかなり過激な主張。でも、この点は今の学校教育で叫ばれている「深い学び」に直結することだと思います。
適菜氏の薦める「大人の読書」とは、歴史を超えて読み継がれている文学書や古典を読むことだとも言っています。しかし、そういう本は一般的に難しく敬遠されがちです。難しい本は避けたいと思うのがおおかたの考えです。今の自分には理解できないくらいの本を読み、「何が書いてあったのかよく分からなかった。難しかったなあ」そう思える本がいいのだとも言っています。
分からないと思った瞬間、脳内の「検索エンジン」が動き始める。すると何年かかるか分からないが、いつか必ず分かる日がやってくるそうです。その間に思考は深まり、感性は磨かれていくのだと。抽象的ですがそのような経験は少なからず私もしているのでなんとなくわかります。
私たち凡人には難しいことですが、私も「子どもの読書」ばかりしていないで少しでも氏の言う「大人の読書」に近づけていきたいと思います。
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