#41 「非まじめ」のすすめ
まず「非まじめ」とは決して「不まじめ」ということではありません。誤解しないように。『非まじめのすすめ』という本があります。作者は工学博士の森政弘・東京工業大学名誉教授です。主な内容は以下の通り。
そこで森先生は本の中で第三の生き方を提案しています。それが「非まじめのすすめ」です。
一般的に「非」は英語の「NOT」という意味で、その下に続く言葉を打ち消す否定の接頭語だと思われていますが、本来の意味はそうではないそうです。「非」は「超越」という意味で、仏典に数多く出てくるそうです。語源的には、鳥や昆虫の左右の羽を象(かたど)ったものだといいます。なるほど、空を飛ぶというのは昔の人間にとっては非常識、すなわち、常識を超えたことだったのでしょう。
森先生は学生に
「揺れる電線になぜ鳥は落ちずに止まっていられるのか」
というテーマでレポートを書かせたそうです。工業系の大学なので、みんな物理学の視点から書いてきたそうです。
「鳥は、電線の上で自分の羽としっぽをバランスよく動かすことで重心を安定させている」等々。その中で、森先生が気に入ったレポートが一つあったそうです。
「鳥は滑り落ちてもいいと思っている。なぜなら飛べるから。」
まさに「雪が溶けたら春になる」の発想です。
そういえば、教師がテストの採点をしながら、思わず爆笑したという解答を集めた『テストの珍解答』という本があります。
「『厳か」は何と読みますか?」という問題に、福岡県の中学生は「きびしか」と答えました。
「彼女はアンザンが得意です」という漢字のテストに愛知県の中学生は「安産」と書いたそうです。
いずれもバツでした。
「『たとえ~しても』という表現を使って短文を作りなさい」という問いに、茨城県の中学生は「たとえトイレに行っても手を洗わない」と答え、これはマルになったそうです。
私ごとで恐縮ですが高校生の時、毎月一度全校漢字テストがありました。出題範囲が決まっていて、そこを練習しておけば難なく点数はとれる代物でしたが、部活に夢中になり、うっかり漢字練習しておくのを忘れた時にテストで「トコナツ」という漢字が出題されたのを覚えています。どうしてもわからなかった私は、そこを空欄にするのもいやだったので、回答欄に「ハワイ」と書きました。国語の先生にはテストを返却した際、私を名指しで「ふざけるな!」と叱られましたが、教室の同級生にはバカウケだった記憶があります。
私は全く不まじめに書いたつもりはなく、どうせ正解が思いつかないのなら、その得点を放棄してでもせめてシャレで書いて先生やみんなをなごませようと思った程度のものでした。
その後、教師になって問題解決学習の中で、私が特に重視した子どもの発表は、教師が期待している発言よりも教師や他の子が思いもつかないような意見をその子なりの根拠を示して主張できることでした。時にはトンチンカンな発言もありましたが、それで教室はいつも和やかになりました。考えて答えることの楽しさを味わった子どもたちは、知識の量よりも発想の豊かさの方に目を向けるようになるのです。
これからの時代は、「非まじめ」が世の中を明るくするのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。