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#77 学校の先生に見てほしい映画 その1

 みなさん、こんにちは。今回は昨年私が見た映画の中からダントツによかった映画で、しかも是非学校の先生に見て欲しい映画を紹介させていただきます。
 題名は「ブータン山の教室」。文部科学省推薦の映画です。文科省推薦というとちょっとかたいつまらなそうな感じがする人もいるかもしれませんが、この映画は文科省が推薦するのも当たり前だと見終わって実感しました。
 この映画には、派手なアクションや急展開するストリーはありません。凝ったカメラワークもなく、人工的に作った映像もありません。でも、ハリウッド映画を凌駕するものがあり、我々日本人がアメリカナイズされてしまい忘れかけてた大事なものに気づかせてくれる映画です。
 説明の都合上、若干ネタバレの部分があるかと思いますがご容赦ください。

 ブータンの都会に住む若手教師のウゲンは、ある日教官に呼び出されブータンの秘境、ルナナにある学校に行くよう告げられます。真面目に仕事もできない、挨拶もできない、人と話す時にヘッドホンも取らない今日の日本、世界にも、どこにでもいそうな今時の若い教師・ウゲンが主人公です。そんなウゲンは「オーストラリアに行き、ミュージシャンになりたい」という夢を抱きながらも、渋々ルナナ村に行くことにしました。1週間以上かけ辿りついたその地には、「勉強したい」と真っすぐな瞳で彼の到着を待つ子どもたちがいたのです。ある子どもは「先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢」と口にします。慣れない土地での生活に不安を拭えなかったウゲンでしたが、村の人々と過ごすうちに自分の居場所を見つけていきます。
 子どもたちの眼の輝きとか、学びに対する子どもたちの純粋な憧れというか気持ちというか、そういったもの。その子どもたちの未来に対する親の思い。貧しく、厳しくとも、生まれ育った地への愛着。
 自分の能力や努力を棚に上げて、自らの現状を社会や境遇のせいにする。正直、ウゲンが山奥の学校に赴任するのは、その学校の子供たちが可哀想だと最初私は思いました。他人を思いやることもできず、態度も悪い。そんな人に教わることはあるのだろうかと。どうせ教わるなら、もっと優秀で礼儀のある教師の方がいいんじゃないかと。

 しかし、ルナナ村に住む人々は、そんなウゲンのことを心から歓迎します。ルナナ村から8日間も歩いてウゲンを迎えに来てくれたミチェンに対しても酷い態度をウゲンは取っていました。しかし、このミチェンの終始ウゲンに対して礼儀を忘れず接する態度にまず圧倒されます。
 ルナナ村に到着して村人に大歓迎してもらったにもかかわらず、その場でウゲンはここで教師をやるのは無理だ、すぐに帰りたい、と村長に訴えます。村長は嫌な顔もせず、ウゲンの意志を尊重する、人としての敬意を忘れない彼らの心の美しさにまた圧倒されました。
 そして、極めつけは学級委員の女の子ペムザム。彼女の美しく大きな瞳と屈託のない笑顔には、「純真」という言葉がぴったりです。彼女を撮るためにこの作品を作ったのではないかと思えるほどの存在感をもつペムザムの姿は、痛いほど心を揺さぶられます。
 この映画に出てくる子どもたちはペムザムを含めてすべて劇団の子役でなく全くの素人、ルナナ村の子どもたちだそうです。演技ではない「素」の姿をそのまま映像にしたドキュメンタリーに近い子どもたちの姿にまた圧倒されます。ルナナの子どもたちには現代の日本の子どもたちにはあまり見かけなくなったあの目の輝きがありました。先生から学ぶことができる喜び、壊れた家族の中で生きる苦しみとそれでも前を向いて生きようとする健気な姿、ウゲンの状況を理解した上でそれでもこの村に残って欲しいという健気な願い、ウゲンの優しさにも気づくことができる心の綺麗さ。ペムザムの行動や表情の全てから、彼女の知性と清廉さが滲み出ているのです。

 この映画を見ていて、ウルグアイのムヒカ元大統領の「我々は進化するためじゃなく、幸せになるために生まれてきた」という言葉を思い出しました。日ごろ、日本の社会の中で収入や学歴や外見等で他者とマウントを取り合い、マウントを取り続けることで、自分の存在意義を担保する資本主義社会にどっぷり浸かってる私たちにとって、そういう他者との比較によってではなく、他者への敬意によって貧しくても心を豊かに暮らしているルナナの人々の生活が美しく、汚れ切った私の心を洗浄してくれているようでした。

 昔ながらの価値観と生活を大事にし続けるルナナには、人間の幸福の本質が詰まっている気がしました。人間の幸福に、はたして本当に発展は必要なのだろうか。発展することと幸福は共存できないのだろうか。そんなことを考えさせられた映画でした。

 最後にこの映画を作ったドルジ監督のインタビューを紹介します。

 ほとんどの役を村の人たちに演じてもらいました。ただ、生涯を通じて村から出たこともない人たちばかりなので、カメラを見たこともなければ、「映画」が何かも知らない。演技をしてもらうのは難しいので、極力ありのままでいてもらうことにしました。
 子どもたちには「いつものように授業を受けてください。ただ、カメラは見ないでね。」とだけお願いしたのです。カメラがどんなものか知らなかったおかげで、授業中に隣を見ながら字を書いている子がいたり、鼻をほじる子がいたりと、自然体で親しみやすい映像ができました。
 それともう一つは、脚本の中に彼・彼女らの人生をそのまま取り入れ、リアリティーを追求しました。実際一人一人にドラマがあったのです。
 例えば、物語で重要な役割を担うペムザム(本名も同じ)という少女は、実生活でも父が昼間から酒浸りで、母親は家を出て行ってしまい、年老いた祖母に育てられています。しかし、彼女はそんな苦労のそぶりも見せず、人生の美しさと生きる喜びを全身で表しています。ペムザムの生命からほとばしる、混じりっけのない輝きを活かすことを意識して脚本を書き換えていきました。
 主人公ウゲンの職業はあえて教師にこだわりました。今、ブータンでは教師の離職率が最も高いのです。非常に残念なことだと感じています。幼少期の人格形成において、教師の果たす役割は極めて大きいもの。ブータンにおいても教師は尊敬される存在ですし、教育の機会の少ないルナナではなおさらのことです。だから劇中では、村を挙げて赴任してきた若い教師を歓迎し、もてなすシーンを入れました。教育を受けられることが決して当たり前ではなく、崇高なものだと示したかったのです。雪山の向こうの世界を知らない子どもたちのとって、教師はたった一つの希望の光なのです。
 ルナナの人々の生活は便利さとはほど遠いものですが、子どもたちの瞳の輝きにははっとさせられます。私たちにとって大切なものは何か気づかされます。彼らの生き方や生活の営みには、現代社会から失われかけた清らかな人間の精神が息づいています。そこにこそ何世紀にもわたって、仏教を生活の基盤に置いてきたブータンという国の本物の価値があると確信しました。
 私たちの周りには、何不自由ない暮らしを送っていても、人生の本当の充実感を味わえず、いつも不満をこぼしている人たちがいます。20世紀後半から始まった近代化の波によって、それまで仏教的・東洋的な哲学に支えられてきたブータン人の幸福感が大きく揺らいでいます。現代社会に見られる経済成長や利便性、物質的な豊かさなどが、幸せを測る尺度に置き換えられつつあるからです。
 もちろん、そうした生活から離れて暮らすべきだと言っているのではありません。ただ”光”を享受する時に”影”のような僻地での生活があることを忘れなければ、今の快適さの有り難みに気づけると思うのです。
 私たちはどうしても目に見えるものばかりを追いかけ、幸福の要因を自分の外に求めがちです。でも本当の幸せは誰かが与えてくれるものではなく、自分の心の中に求め、築いていくものです。そして周囲に反映して、自分の外にある世界も変えていくものだと思うのです。

ドルジ監督のインタビューから

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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