#87 物事の捉え方を変えると!
今やテレビゲームは着実に進化し、Eスポーツとして一つの競技として認められるようになりました。任天堂のファミコンから始まった我が家のテレビゲームですが、続いてセガサターン、スーパーファミコン、プレイステーション、プレステ2、プレステ3、プレステ4と変遷してきました。私自身ゲームは好きでしたが、息子はゲームとともに成長してきたようなものでした。
自分の子どもがゲームをしている時の集中力はものすごいもので、この集中力で学校の勉強をしてくれたらかなり成績は上がるだろうなと思っていました。息子はロールプレイングゲームが大好きで、いつも飽きることなくゲームしていました。ゲームのしすぎでよく母親から注意されていましたが、あるときからパッタリしなくなったのです。なぜかというと、そのゲームを最後までクリアしてしまったからなのです。クリアできてしまったゲームはもう面白くないのです。
ここで私は気づいたことがありました。ゲームというのは、なかなかクリアできないから面白いわけで、クリアしてしまうともう面白くないと言う事に。ちょっと乱暴かもしれませんが、人生をゲームに例えてみると、なかなかクリアできないことがたくさんありますよね。それって、なかなかクリアできなくて悩んでいるときは、みんな必死にもがいているわけですが、ゲームと同じように捉えたとしたら、「だから面白い」のではないでしょうか。
もし、人生が簡単に自分の思い通りになってしまっていたら、おそらくつまらないのだと思います。なかなか思い通りにいかないから、ゲームも人生も面白いんだと思います。仕事などでも、ルーティン通りだけ毎日していたら、退屈でしょうがないと思います。だって考える必要がないわけですから。想定していないイレギラーなことが起こるから、面白いのです。自分の前に立ちはだかっている壁なり課題を少し距離を離して俯瞰してみることができれば、「自分の人生いよいよ面白くなってきたぞ」と思えるのではないでしょうか。自分の前に立ちはだかっている大きな壁も自分の身長の目線で見上げるから、大きくて重厚に見えるのです。もしそこをドローンをつかって上空から見ることができるとしたら、大きな壁の向こうが見えて、「そうかこの壁さえ乗り越えれば、あとはどうってことない」と思えるのではないでしょうか。そう考えることができれば、俄然壁を乗り越える気力がみなぎってくるものです。物の捉え方を変えることで自分の人生そのものの捉え方もかなり変わってくると思いませんか。
話は変わりますが、あるエッセイストの家族の話です。その方の子どもが低学年の時のエピソードです。学校の宿題ノートにこう書いてあるのを目にしたそうです。
3+7=7
これは算数では一番やってはいけないミスです。なぜなら足しているのに増えていないからです。つまり足し算の根本が分かっていないことが大人だったら誰しも分かる致命的なミスです。そしてその息子さんに「算数のテストぜんぜんわからないだろう?」とたずねると、息子さんは「大丈夫だよ、とおちゃん。」何が大丈夫なんだよって思ったそうですが、その息子さんは次にこう言ったそうです。
「テストの時は後ろの子の答えを見ているからだいじょうぶだよ。」
このひと言で息子さんは母親からこっぴどく叱られたそうですが、自分は感心したとのことです。芸術家の岡本太郎氏の「道が二つに分かれていた時に、あえてあきらかに損だという道を選ぶのが芸術家だ」という言葉が頭をよぎったのだそうです。「普通、カンニングというのは横の席の子の答えを見るのがカンニングの鉄則なはずなのに、わが息子は明らかにリスクの高い困難な道を選んでいる。そうか息子は芸術家・アーティストなんだ。」と思って感心したそうです。
この話にはまだ続きがあって、カンニングしているわりにはいつもテストが8点とか13点なので、息子に聞いてみたそうです。「カンニングしているわりに、いつも点数低いよね。」すると、その息子さんはこう答えたそうです。
「うん。後ろの子が間違っているからしょうがないんだよ。ははは。」
このあきれた言いっぷりに母親は再び激怒したそうですが、自分は「そうか。うちの息子は相手のミスを笑って許せる優しい子に育ってくれたか」とまた感心したそうです。
またある時、その息子さんが肩をマッサージしてくれたことがあったので、お駄賃に10円渡したそうですが、するとその息子さんは「とおちゃん、ありがとう」といって10円を握りしめて、自分の机の方へ走っていったそうです。戻ってくると、「とおちゃん、おつりだよ。」と、手渡されました。
なんと、100円だったのです。10円渡したのにおつりが100円。
その時このエッセイストの方は、こう捉えたと言っています。
算数が苦手って素晴らしいじゃないか!うちの息子は受けた恩は10倍返しするんだ!
かなりぶっ飛んだエピソードですが、この子の母親はいたって常識的な対応だと思います。しかし、このエッセイストの捉え方は尋常ではありませんが、もしこの方が母親と同じ捉え方だとしたら、この子は救われないと思いますし、常識的に捉えないことで、子どものよさは発見できるのかもしれません。
人間は、事実に対して自分なりの意味を考え、捉えて生きていく動物ですから、どういう意味に捉えるかによって(物の見方を変えてみることで)、その後の判断が変わる、行動が変わる、人生が変わることさえあると思います。
全ての物事は、プラスもマイナスもなく、ゼロでありニュートラルである。幸も不幸も存在しない。そう思う心があるだけ。見方を変えると全てが変わる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。