#78 子どもたちのわからなさを大事にする授業とは?
子どもたちは、自信がないのでクラス全体の前では、小さな声で独り言のように話します。先生が自分の声を拾ってくれたらいいのになあと思っている子もいます。あるいは、反対に自分の気持ちがすぐに言葉にでてしまう子どももいます。
子どもたちへ声の大きさを求めるときに大切なことは、他の子の声と比べてはいけないということだと思います。声の大きさは、その子が心の扉をどれだけ開いているかを表しているものです。そこを理解しないで、全体に聞こえるように話しなさいと言ってもそれは無理な話です。だから、一律に指導してはいけません。声の大きさは相対的評価ではなく、どこまでも個人内評価をしていきます。
挙手は、静かに手をあげさせます。挙手は声を出さないで自分を表明する手段ですので、手をあげながら「はいはい」は、いらないということを徹底させます。禁止でも規制でもなく、いかに子どもたちを納得させるかが子どもたちからの信頼を生むことにつながります。
さて、挙手させる目的の中に、子どもたちの理解の程度を確かめる場合があります。発問に対して、子どもたちの挙手人数が少ない場合は、もう一度、説明し直したり、班に戻したりします。挙手、即指名で授業を進めることは、できる子、わかる子だけを相手にしていることになります。考えてみると、授業の対象者は、手をあげる子どもだけではなく、手のあがらない子どもでもあるはずです。むしろ、先生は手の挙がらない子どもたちに目を向けなければなりません。教師の支援を必要とするのは後者の子どもたちだからです。
指名は自信のない子どもを優先させます。なぜなら先に、わかる子を優先して発言させてしまうと、あとの子どもたちは言えなくなり考えることを放棄してしまうからです。
もう一つ、重要なことがあります。
教師は、誰を相手にしているか、挙手する子か挙手しない子のどちらでしょうか。
これが一番の問題点だと思います。わからないので挙手しない、自信がないので挙手しない、そのような子を大切にしなければならないはずです。手をあげなかった子どもたちの表情、思いがどうなのかということにもっと気配りする必要があります。挙手は、子どもの理解の有無を確かめるものです。もう一度挙手させることの意味を考えて授業に臨むことが大切だと考えます。何人、手があがったかではなく、何人、手があがらなかったか、何人、発言したかではなく、何人、黙っていたかということに気を配りたいものです。表題の「子どもたちのわからなさを大事にする」とはそういうことを指しています。もし、教師がその重要さに気づき、1時間1時間の授業を積み上げていったとしたら、学級内の子どもたちの理解度の差はかなり縮めることができると私は思います。だから先生方、手の挙がる子だけの発言を中心にすいすい授業を進めていってはいけません。そのような授業をしていると、学力差はますますひらくばかりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。