#90 授業を通してお互いの差異を認め合わせる
学校では子どもたちの集団生活の指導を学級指導、生徒指導等で行っていますが、本当に子どもたちに社会性を身につけさせるためには、授業(学習)を通して身につけさせるようにするのが一番だと私は思います。そこに「授業で勝負」と言われる所以があると思います。
社会性とは、学級の中では友達を認め、お互いに手を取り合えることだと思います。また認めるとは、お互いの違いを認めることです。それはお互いの差異を認め合うことです。人間が、この差異を認めようとするのが困難なのは、そこに嫉妬や妬みの感情がはたらくからだと思います。
子どもたちは、まず自分を認めてほしいという気持ちをもって生活しています。その時に、自分よりも優れている友だちがいると、嫉妬することがあります。先生は、「みんな友だちだから認め合おう」とよく言いますが、子どもにとっては、友だちだからこそ、ライバルだからこそ、認めたくないことだってあるのです。
学級集団の中で、一人一人が自分の意見ばかりを主張しすぎて、他の主張を聞こうとしない場合は社会性を育てることはできません。逆に、控えめで礼儀正しいが集団として盛り上がりに欠ける集団、お互いの意見を関わらせない集団においても同様のことが言えます。
教室では子どもたちが学習を通して、はっきりと自分を主張する集団にすることを目標にしました。お互いの考え方が分かれる討論、話し合いにおいて、自分と友達との差異を理解させるようにするのです。生活の問題を話し合わせるときは、どうしてもそれぞれの子どものプライベートに関わることがでてきてしまうものです。しかし、学習の場面では、そのようなことがありません。意見が対立しても遺恨が残りません。しかし、生活の中で、お互いが言いたいことを言い合うと喧嘩になってしまいます。ところが、学習の中においては、言いたいことをぶつけあっても、お互いが恨みあうことはありません。この点が学習における話し合いのよいところだと思っていました。ここに、学習において話し合いを指導する大きな意義があります。
だから授業では、子どもたちの考えが大きく分かれるような教材提示を意図的にします。予想から討論に向かう時に盛り上がれるように指導していきます。対立点を明確にした話し合いは、自ずから盛り上がってきます。その時の先生の役割は、その対立点をつくり、明確化していくことです。
間違えないでください。話し合うことが目的ではありません。社会性を身につけさせるために話し合いを設定するのです。
「A君とぼくとの意見の違いはどこにあるのだろう」
「A君の考えもぼくと似ているように思うなあ」
「A君はそのように考えるけど、ぼくは、少し違った考えをもっているんだ」
友だちと自分の考えの違いを見つけ、その差を少しずつ小さくしていくことを「さとり(差とり)」と言うのだそうです。学習の中で話し合いができる子どもたちは生活面でも必ずその力を発揮し出します。だから「授業が基本」、「授業で勝負」なのです。
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