#18 働くことの意味
アメリカの鉄道会社の社長の話
あるアメリカの鉄道会社の社長が、現場の視察に出かけた時の話です。
線路の修繕の現場を視察した時、一人の作業員が近づいてきました。見ると、約10 年前、鉄道作業員としていっしょに働いていた友人でした。その友人は、今も作業員をしているようでした。
友人は、次のように話しかけてきました。
「久しぶりだね!君も随分出世したものだね。君が社長になったと聞いた時は、本当に驚いたよ。10 年前は、おたがい50 ドルの日給をもらうために働いていたのにね。」
社長は答えました。
「・・・そうだったのか。君は50 ドルをもらうために働いていたのか。私は、10 年前も今も、この鉄道会社のために、そして世の中の人たちに快適な移動や旅をしてもらうために働いてるんだよ。」
この話から、いかに働くことの目的や意義をもつことが大切かわかると思います。50ドルをもらうために働いている友人は、10年経った今でも50ドルのためにしか働けないのです。そして、50ドル以上のものを得ることはありません。なぜなら目的が50ドルをもらうことだからです。
ところが社長になった人は、10年前も今も、「どうやったら人の役に立てるだろうか」「どうやったら人に喜びを与えられるだろうか」と、「与えるため」に働いています。もちろん今でも同じです。けれど、仕事の中身は大きく変わりました。
10年前は作業員ですが、今では社長ですから。たぶん、ものすごくたくさんの人のために、よい仕事ができているのではないでしょうか。
どうしてこの2人には、こんなに大きな差ができてしまったのでしょうか?
それは仕事をする上での動機のプライオリティー(優先順位)のトップが、「もらおう」と思って働いているのか「与えよう」と思って働いているのかの違いだと思います。その友人は「50ドルのため」に働いているわけです。一日朝9時から5時まで働いて50ドルです。
例えばレールの保線工事をしていたとして、一日一生懸命必死でやって10メートル分工事しても50ドル、一日のんびり働いて5メートル分工事しても50ドルです。同じ50ドルなら、らくな方がいいに決まっています。 「50ドルもらうため」に働いているのですから。
50ドルさえもらえればそれでいいわけですから。上司が見ていないところで手を抜くかもしれません。でも、絶対見ていないと思っていても、そういうことはいずれちゃんとばれてしまうものです。自分がこの人の上司だったら、こんな人に責任ある仕事なんか任せられません。まして、難しい仕事などとんでもありません。だからいつまでたっても50ドルの作業員のままなのです。
50ドルをもらうために働いている作業員は、仕事の内容が50ドルの価値しかありません。それに引き替え、この社長になった人は、「世の中の人に喜んでもらいたい」と思えば、もちろん工事だって、できるだけ早く進めようとするでしょう。一刻も早く修理を終えて、みんなに使ってもらいたいのですから。少しでも早く作業を進めて、もし時間が余れば、その時間で「世の中の人のために喜んでもらえること」を考えるでしょう。
もちろん、「世の中の人」の中には、「自分といっしょに働いている人」も入るわけですから、少しでも他の人が働きやすいように気を使うのではないでしょうか。自分が使った道具はきれいに洗ってきちんと整頓しておくとか・・・。「お疲れ様でした」のあいさつ一つだってきっと心がこもっていることでしょう。
よく考えると、この社長になった人は、たくさん与えていることが分かります。それも周りの人たちやお客様や、果てはその国の人たちにも。人の役に立つことや、人に喜びを与えることを考えて仕事をしていたこの人は、給料の何十倍も価値のあるいい仕事をしていたのです。そんな人を周りがそのまま放っておくわけがありません。だから、社長になったのです。私は、この社長は高い収入や地位なんかより、もっと価値のあるものを得ることができたと思います。周囲の人から本当に信頼されて、「あの人と働けてよかった。」と思われていたのではないでしょうか。
このようなことから仕事の目的は、しっかり見定めて働いていかないと大きな差が出るということをこの話は伝えているのだと思います。
松下幸之助と電球工場の工員たち
日本の高度成長時代の話です。パナソニックの創始者で、今は亡き松下幸之助さんが自分の経営している工場を視察にまわった時の話です。その工場では朝から晩までただひたすら小さなソケットのついた電球を磨くだけの仕事をしていました。単調でつまらない仕事にあきあきしていた工員さん達はその不満を言うつもりで、社長の松下さんが視察に来るのを待っていました。
松下さんは工場に入ってしばらく彼らの作業を眺めていたかと思うと、いきなり「ええ、仕事やなあ。」と言ったそうです。すると、みんなびっくりして手が止まりました。
「電球を磨くだけの仕事のどこがいい仕事なんだ。」とみんな疑問に思っていたからです。
すると、松下さんは静かにこう言い出したのです。
「ええ仕事や。あんたらが磨いている電球は、どこで光るか知っとるか。」
たぶん電球磨きの工員さん達はそんなことを考えたことはなかったと思います。今、自分が磨いているこの電球が、どこでどういうふうに光っているかなんて考えて磨いていないわけです。戸惑っている彼らに松下さんはこう続けたのです。
「日本の山間部の村の中には、まだ電気が行き渡っていないところがいっぱいある。そういうところに子ども達がいっぱいおる。そこに住む子ども達は夜になって暗くなったら、外で遊ぶことも本を読むこともできなくなる。本というのは人間の心を豊かにするわな。その本を読んで彼らが未来を夢見て、心を躍らせ『ああ僕も大きくなったらこうなろう、ああなろう』と、そう考えさせてくれる読書も日暮れとともにページを閉じなくてはいけないんや。もう少し続きが読みたい。でも、もう暗くて読めない。そんな時、みなさんが磨いた電球がポッとともりよる。その電球の下には彼らがこれから読みたいと思っていた活字がはっきりと見える。子ども達はその本を開いて、また心を夢の世界に踊らせ続けることができるんや。あんたらのしている仕事は子ども達の夢と未来を育むええ仕事や。ほんまにええ仕事やなあ。」
松下さんにそう言われて、さっきまで社長に不満を言おうとしていた工員さん達がポロポロと涙をこぼし始めたそうです。
この世の中に意味の無い仕事はないのです。この話から私たちが学ばなくてはいけないことは、自分のしている仕事の意味をしっかり理解して取り組んでいかなくてはいけないと言うことです。松下さんの話から工員さん達は、自分たちの仕事は単なる電球磨きではなく、日本の子ども達の夢と未来を育んでいると心の深いところでその意味を自覚できたから、熱い涙があふれてきたのだと思います。
自分の仕事を社会との関連で表現できる強さ
ある方が○下電器の社員の時代に、「○レ」の中堅社員の人たちと一緒に合同研修会をした時の話です。最初にお互い自己紹介をしましたが、その○レの社員の一人が、今でも忘れないことを言ったそうです。彼は、「私は○レで漁網を作っています」と言いました。○レは繊維会社だから、魚を捕る網を作るのは当然ですが、その次に発した言葉が強烈だったそうです。
「皆さんが食卓で食べている魚の半分は、私たちが作った網にかかったものです」
つまりその人は、「○レの漁網のシェアは50%」と言ったわけです。でも、そういう言い方ではなく「皆さんが食卓で食べている魚の半分は…」と言うことで、「そうか、この人たちに頑張ってもらわなければ魚が食べられなくなるんだ」と自然に思ったそうです。
自分の仕事をこのように表現できる強さ、これは使命感の塊だから出てきた言葉だと思います。自分の仕事を社会との関連で表現できるようにすることが大切だなと強く思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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