企業と働き手の新しい関係性
はじめまして、ACALL 広報/マーケティングの佐藤です。
今日も暑いですね。
本日の関西は最高気温34℃、洗濯物がカラカラです。
最近は、リモートワークで日光不足になると寝つきが悪くなるので、家の近くの川辺で本を読むのが朝の習慣です。(朝でもけっこう暑い)
さて、わたしが広報/マーケティングの担当として5月に入社し、はや4ヶ月が経とうとしています。
入社してから、これまでになかった気づきを得たので、そんな話を共有できればと思います。きっと興味もってくれる人がいるはず!
ちなみにACALLは、「はたらく」と「くらす」を自由にデザインできる社会の実現を目指し、それを支えるプロダクト「WorkstyleOS(ワークスタイルオーエス)」を提供・開発しています。
サービス名が長いのが難点ですが、ワークスタイルの基盤(OS)と覚えていただけると嬉しいです。
多様な「はたらき方」を推進する企業ということもあって、ACALLの働き方はとても自由でプロフェッショナル。自律できる人たちが集まっているように感じます。
私のこれまでの「はたらき方」
私にとってACALLは4社目なので、少なくとも3社の働き方を経験しました。1社目・2社目はわりと大きな会社だったということもあり、管理的というか旧来からある働き方でした。
リモートやフレックスの制度はもちろんなく、勤務時間も固定で残業時間はそこそこでした。このとき「社会人の働き方ってこれが普通だよね」という感覚に疑問を持つことはありませんでした。
その一方で、「しんどいな・・・これは”人間の暮らし”をしていると言えるんだろうか?」と、時折感じていたのも事実です。
このときに、1日最低8時間、長いと12時間前後の時間を費やすのであれば「仕事は絶対に面白いと感じるものでなければならない」という強烈な意志が生まれました。
何を大事にしたくて、何は我慢ができて、何を成したいのか、価値観は人それぞれですが、「楽しくなければ意味がない」という3歳児のような、癇癪ともいえる感情を昇華させることができなかった私は、まずは自分を幸せにするために「好きな仕事を自由に選択できる自分になる」を大きなテーマとして、20代の日常のほとんどの時間を費やしたように思います。
時を経て3社目は、ベンチャーのフェーズにあり、業界全体としても激務と言われる部類でした。やっと自分の好きな仕事ができるようになった私は、ガムシャラに働くマンになりました。
そこでは、忙しさはありつつも、フルフレックス・フルリモートでとても自由な環境と感じていました。しいて言うならば、旧来の働き方の名残はあり、元々の定時時間以外の時刻に出退社する場合は事前に報告が必要で、中抜けはNGではないものの公には言いづらい文化だったように思います。出社する人は偉いよねという価値観も暗黙知としてあったかもしれません。
でもそれは、誰かと働くうえでは当たり前のことと納得していましたし、まわりの会社と比べれば、かなり自由でした。前職の会社にはとても愛着がありましたし、働いている当時は「これ以上に自由な働き方はない」と感じていました。
ACALLでの「はたらき方」
前職と同じく、フルフレックス・フルリモートであることに変わりはありませんが、自律すること・プロフェッショナルとして仕事をすることを前提に、働く時間・暮らす時間のデザインは完全に社員に任せられています。
前職も相当に自由だったこともあり、実際のワークスタイルはあまり変わっていませんが、気持ちとしてとても開放感があり、「人間らしい生活」ができていると感じます。
ACALLで得た「気づき」
これまでは、会社が働き方を「管理」しないと組織として成り立たないという考えのもと、ある程度制限された”働き方”は、組織のリスクヘッジの観点から仕方ないと考えていました。
しかし、ACALLでの”働き方”を経験すると決してそんなことはないと感じます。実際の働き方は変わっていなくても、会社から「管理」されないだけでこんなにも気分が明るくなる事実は、想像もしていませんでした。
「管理」されているがゆえの、変な気を回す必要がなく、業務以外での消耗が少なくなり、その分のエネルギーを仕事や勉強に使えているような気がします。(これが巷で噂のウィルパワーってやつでしょうか)
ACALLに入社してから「はたらき方」について思考を巡らすなかで感じるのは、「企業の本質」は「管理をすること」ではないということ。その目的は「事業の発展」であり、その手段として「管理」を選択しているということ。管理をしない方が事業が発展するのであれば、そこにコストを割く必要はないということ。
そして気づいたことがもう一つ。私はどちらかというとルールというものがあまり好きではなく、理由が見えない・伴わない・共感できない、特に形骸化された”決まり”が好きではありませんでした(本当にめんどくさいやつです)。
例えば、勤怠の打刻。特にサービス残業をたくさんしていると「打刻する意味ある?」と感じてしまい、忙しさも相まってついつい忘れていました。けど、ACALLに入社してから「会社が誠実にしてくれている」と感じるので、「ちゃんと勤務時間を計測しなければ」という気持ちになり、20%前後だった打刻率が90%以上になりました。
勤怠打刻の是非云々というよりも、会社が誠実だと自分も誠実にしなければと思うものなんだなと、初めての感情に驚きました。これが返報性の法則なんでしょうね。
往々にして、マクロの正しさとミクロの正しさが異なるように、会社としての正しさと個人としての正しさが異なる事象はよくあることと思います。なので、これまで会社が個人にとって「理不尽」と感じる対応をするのはある程度は仕方がないことだと受け入れていましたし、それが当たり前という感覚を持っていました。けど、そうではないのだと思い直しました。
企業と働き手の新たな関係性
つまり何か言いたいかというと、
「会社が誠実だと社員も誠実になる。その結果パフォーマンスが上がる。」
これは私の超個人的な仮説の一つですが、可能性はあるんじゃないでしょうか。会社と働き手は時折対立構造になってしまいますが、
利害だけではなく、気持ちでもつながれる。
事業も成長する、個人の幸福度も上がる。
Win-Winな関係を目指して、
このあたりの解像度をもっと上げていけるといいなと思います。
最後に
これからは私個人としても、「はたらく」と「くらす」を自由にデザインできる社会を目指して、会社の枠組みを超えていろんな対話ができたらいいなと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは、また✨