伝教大師最澄1200年大遠忌
先月の仏教エントリで予告した通り、今月は「伝教大師最澄1200年大遠忌」について紹介する。
令和3年。今からちょうど1200年前の6月4日、日本で天台宗をおこした伝教大師・最澄(でんぎょうだいし・さいちょう)が56歳で入寂した。
天台宗は、比叡山延暦寺を総本山とし、日本伝統仏教のルーツとも称される。そんな最澄の大遠忌とあって、6月4日には、筆者の所属する寺はもとより、全国の天台宗各寺院を中心に記念法要などが営まれた。
比叡山延暦寺では6月3日・4日・5日の3日間にわたり御祥当法要を奉修。この法要の様子はアーカイブ配信で見ることができる。
そんな伝教大師・最澄の有名なことばに「一隅を照らす」がある。
近年はアフガニスタンで命を落とされた中村哲師が、座右の銘としていたことでも再注目された。
この言葉を今あらためて吟味する時、「一隅を」というからには、対概念として「全体」の存在がある筈であり、最澄にとってこの「全体」とは「国」を指していた。
(このあたりはニー仏こと魚川祐司氏のnote【「全体」がなければ「一隅」もない】に詳しいのでご一読いただきたい)
では「照らす」はどうだろうか。
真っ暗な夜道を歩いていると、外灯の明かりが一つあるだけでホッと安心できる。しかし昼間に外灯が点いていても、誰も気がつかない。外灯に気付くには闇が必要だ。
こう考えていくと、「一隅を」「照らす」と掲げた伝教大師・最澄の目には、「全体」は「闇」つまり「国(日本)は闇に包まれている」と映っていたことが伺える。
さて現在。
感染症の不安は世界規模であるので、ここでは「全体」は「世界」だろう。現代のわれわれは「パンデミックで世界が闇に包まれている」という空気感を共有している。
伝教大師・最澄の没後1200年の今、私たちは、奇しくも伝教大師・最澄と同じ危機意識を共有し、伝教大師・最澄と同じ志で「一隅を照らす」を実践していける状況下にある。
このコロナ禍では、貧困対策に取り組んだり、世の中には多くの社会問題に向き合っておられる僧侶が大勢いらっしゃる。そんな僧侶の方々に尊敬の念を抱きつつ、「自分ならば何ができるか?」「一隅を照らしていけているだろうか?」仏教者として自問自答が続く、1200年目の大遠忌である。
Text by 中島 光信(僧侶・ファシリテーター)