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今日はプライベートなことを記録に残しておきたいだけの投稿なので悪しからず…。

ボクには訳あって父親がいない(正確にはいるのだが、いないことになっているし、現に40年以上会ってない。おそらく存命)。
その父親も実の両親からは勘当されたようで、育ての親(通称おばさん)が別にいた…。
そのおばさんは父親と縁切りしている。

太陽は沈むけど、また昇る。仙台に向かう新幹線の車窓から。

ただ、おばさんはボクのことをずっと孫のように可愛がってくれた。私たちの育て方が悪かったから博康にもボクの母にも悲しい思いをさせたと言わんばかりに…。

実際、おばさんたちはたくさんの愛情をもって父親を育てたはず…。それが分からない父親が悪いとボクは思っている。

中学の時に初めておばさんの家に泊まりに行った。夜中まで進路や処世について尽きなく話した。歴史や文学の話もした。数年前に他界したおじさんは、いつもニコニコ見守ってくれた。

今の自分の思考に大きな影響を与えたのは間違いなくおばさん。桜蔭の時の同級生には素晴らしい人が多く、そんな方々のさまざまなエピソードも刺激的だった。

先祖、親、家族を大切に。
自分ができることをできる範囲で全力でやれ(できないことをやるのはカッコ悪い)。
基礎になる財産を築け(中学生のボクにはいまいちピンと来ず…)。


本気で叱ってくれたこともあったけど、うんと褒めてくれたこともあった。

そんなおばさんに認めてもらいたかった。

その一心でここまで走ってこれた。
いつも自分ではなく人のために生きている、それが自分のためになるんだという考え方を貫いたおばさん。
そんなおばさんが2025年1月21日に他界した。
きっとお空から見守ってくれている。

左右がおじさん&おばさん。右から2番目はおばさんの母。

もう一人。
2025年2月16日に海の向こうの暖かい島に渡った鳥がいる。

ヤクルトスワローズのマスコットである「つば九郎」
つば九郎は単なるキャラクターじゃない…。
分かる人には分かると思う。
人格を持った鳥、それがつば九郎。

大切なお友達が突然いなくなったような、、、
話したことも握手したこともないのにボクの心にずっといる。そう、30年前に登場してからずっと。
つば九郎のいない神宮球場はちょっと想像できない…。

パトロールと称して西麻布のバーに行くのが常だったらしい。会って話せたら意気投合できた気がする。

つば九郎、これからも一緒にスワローズを応燕しよう!

スワローズやつば九郎のことをこよなく愛してくれていた衣笠会長もその少し前に他界。

つば九郎、天国でヤクルト1000飲み放題ではなく、るーびー飲み放題をおねだりするのはどうだい?
会長なら二つ返事で叶えてくれそうだね。

さあ、仙台に着いた!
今日は河合塾マナビス仙台校で講演会。
おばさんやつば九郎のようにはなれないけど、誰かの役に立てたら*エミフルだ~♪

※「えみふる」=笑みFULL。笑顔がいっぱいという意味。

成川博康