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私は母を守った
今は亡き母のことを思い出していたら、過去の記憶からこのエピソードが蘇ってきたため、Noteに投稿してみた。
あれはいつの頃か。多分小学生のころ。
父が職場の人(男性)を1人家に連れてきて、一緒に酒を飲んでいた。仕事帰りに酒場で飲み、その流れで家に来たようだ。彼らは一階の居間にいて、私は2階にいたから、もう夜遅かったのだろう。
職場の人は酔っ払い、大声で喋り、くだを巻いている。その人の調子に父も合わせている。母も、彼らに調子を合わせて、にこやかに接待している。2階にいてもその様子はよく聞こえていた。酔っ払いの大声は、傍若無人に響く。
2階の自分の部屋にいた私は
「うるさいなー…早く帰ればいいのに」
と、大騒ぎする彼らを苦々しく思っていた。
しばらくの間、私が1階の音に耳をそばてていたら、そのうちに、
職場の人の口調が乱暴になり、母に絡んできた。
彼が何を言ったのかは覚えていない。
ただ、
私は、
「母が危ない」
と、そう感じた。
どうしようどうしようどうしよう
怖い怖い怖い
だけど お母さんがやられそう
怖い怖い怖い
でもでもでも
同じ2階にいるはずの兄たちは、全く動く気配がない。自分の部屋に籠もってる。
しかたがない。
私が行こう。
兄たちに言っても動いてくれなさそうだと判断した私は、母を守るためには、自分が行くしかないと思った。
でも やはり 酔っ払いのくだを巻く、ろれつの回らない大声は怖くて
階段の途中で座り込み、逡巡していた。
「誰も母を助けてくれないなら、自分が、行くしかない」
「私が行かなければ お母さんがあいつにひどい目にあわされるかもしれない」
「お母さんがひどい目に会うのは嫌だ」
「お母さんを守らなきゃ」
「嫌だけど 行くしかない」
なんとか覚悟を決めて、
自分で自分を励ましながら。
おそるおそる階段を下り、1階に降りていって、そろりと廊下から、父と職場の人…酔っ払いの2人を見つめた。
ただ 見つめた。
怖くて声は出なかったけれど。
抗議の気持ちを込めて。
精一杯
睨んだのだ。
「早く帰れ」
「お母さんに触るな」
言葉では言えなかったけど
目で伝えようとした。
必死で睨んだ。
そしたら、
職場の人は
「なんだ! その目つきは!!」と、大声を出した。
怖い!!
身をすくめると、
母が私に向かって
「来たらいけん!2階にあがっとき!」
と、私をかばい、その場から逃がしてくれた。
その後どうなったのか、2階に行った私には分からないが、私がそれ以上乱暴されなかったことを思うと、
職場の人は興ざめして帰ったのだと思う。
それ以来、父も少しは反省したのか、酔っ払いを家に連れてくることはしなくなった。外で飲んだり、休日は朝から酒を飲んでいたが。
その頃は誰も気づいていなかったし、病院に行ってなかったから診断されてなかったが、おそらくその頃から父はアルコール依存症であった。定年退職後に酒量が上がり、腹水が溜まり黄疸が出て肝硬変一歩手前になって初めて、母が、父を病院へ連れていき、やっと、アルコール依存症と診断され断酒会に入った。
(父のアルコール依存症の話は長くなるのですが、ここでは触れません。
また別の機会に書きますね)
母にまつわるエピソード。
50代の今の私が、このエピソードを振り返ると
よくやった!
よくやったぞ、小学生の私!
あなたの行動で お母さんはどんなにか嬉しかったことだろう!
お母さんは、娘に守られた、って感じたと思うよ!
勇気があるね!
怖かったのに、1人でがんばったね!
あなたのことを優しく抱きしめてあげたいよ。
そして、
勇気を持って行動したあなたのことを、私は誇りに思うよ。
あなたはまちがっていないよ。
自分に自信を持ってね。
他にも、つらい経験をするけど、その記憶はなくならないけど、
でも、大人になったら家族も作れるし、子どもが独立して離れても、50歳になったら、ピアノも弾けるし、友だちもできて、仕事もできてるよ!
だから、どうか、
自分で自分をいじめないで
自分を大切にしていくんだよ。
それにはまず、
自分の好きなこと・やりたいことをやってみよう
あなたのお母さんは、芯が強くて優しい人だから、あなたのことを全面的に応援してくれるよ。
だから、自分を信じて、やりたいことをやろう。
そしたら
結果は、後からついてくるよ。
なんて。
こういう経験をした私だから、私は、保育の仕事を通して、
子どもたちや大人たちに、こういうことを伝えていきたいんだな、って、そう思っている。
端的に言うと、
子どもや大人に自己肯定感を持って生きてほしい。
自分で自分のことを「大切な存在」だと感じてほしい。
お母さんが私にしてくれたことを、次の世代にバトンタッチしていきたい。それが、次の世代のためになると信じているから。
それが、私に与えられた使命なのかな。私の生きている意味かもしれない。思いこみかもしれませんが。
身近な人からの性被害・学校でのいじめサバイバーとして。
生き残ったサバイバーは、自分にできることをやり続ける。
被害に遭って亡くなってしまった人たちに少しでも報えるといいのだけれど。
小さな光を灯し続けることが、
私の人生なのだろう。
私の目標は、自分の半径3メートルの人に和んでほしい。大勢を助けることはできないけど、半径3メートルなら、なんとかいけるかもしれない。と、思うから。
人から見たら、
「なにやってるんだろう?」
「余計なお世話だよ」
おせっかいかもしれない。
ほんとに おせっかいやるたびに、毎回 自分でも思うんだ。
ただ、それをやり続けないと私は生きていられない。
そして、
書かずにはいられない。
そういうことだ。
最後まで読んでいただき、心より感謝します。
合掌🙏
今日も
ゆるゆると
自分の務めを果たす所存。
では、ごきげんよう🌿