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生にこだわって、真剣に生きなければならない(人は死と生きていく)
「生きてるだけでいい、それが親孝行になる」
両親は、僕にこんな言葉を投げ続けてくれました。
物とか体験とか、そういうプレゼントをしてくれるのも嬉しいし、互いに住んでる場所が違うから、帰省して顔を見せてくれることも嬉しいけど、それぞれの人生があるだろうから、元気に暮らしてることを知らせてくれたらそれでいい・・・僕の両親は、そう感じているようです。
だから僕は、生きることに対する感度が高まってきたんだと思います。
身近な人の死を経験して、「命がなくなってしまったら何もできない、命さえあればなんでもできる可能性がある」という考えに行き着いたんだと思います。
高校3年生の時、沖縄に修学旅行に行って、第二次世界大戦の沖縄戦について深く学び、戦争を強く意識する場所も訪れました。
身近な人の死ということではないですが、「この場所でそういうことがあったんだ」とか、「ここにそういう人たちが生きていたんだ」ということを感じることで、生きることや死ぬことへの感性が高まったように感じます。
高校3年生でのその体験は非常に僕の中では印象に残っていて、「歴史を知ることが今を生きる大切さの実感に繋がる」と思うキッカケになりましたし、大学1年生から一人暮らしを始めた僕に対して、「元気に暮らしてくれてるならそれでいい」と言い続けていた両親の気持ちが理解できるキッカケにもなったと思っています。
生きたいけど、それが叶わずに無念のうちに亡くなっていく方が過去にはいたし、今もいるし、これからもいるんだろうなって考えて、その対象に自分がなるかもしれないってことを考えたら、今生きていることに感謝しないといけないし、全力で真剣に生きたいと本気で思います。
だから、自分にとって全力で真剣に生きるってなんだ?ってことを考える必要があるんです。
自分が生きてる意味とか、誰にどんな影響を与えているのかとか、どんなことをしたいのかとか、どんな人を増やしたいのかとか、どんな世の中にしたいのかとか、、、そんなことを考えながら、自分の人生がより良くなって、自分の周りにいる人の人生もより良くなっていくことに時間を使いたいです。
いつどうなるか、そんなことはわかりません。
日々を過ごす中で、「あれがこうなったら死ぬかもな」とか「今ここで地震が起こったらやばいかもな」とか、そんなことをいつも考えています(考えたからってネガティブな状態になるわけじゃありません)。
いくら自分が注意していても、不可抗力的な何かが起これば、どうにもできない瞬間というのは訪れるものです(不可抗力的な何かが起こっても、どう回避できるかを考えながらシミュレーションしてる感じです)。
生きることにこだわって、日々を過ごしてみましょう。
「生きることにこだわる」と決めた瞬間、何かが変化して、その変化がさらに何かの変化を生み出します。
きっと、その変化は、自分の人生にとって良い変化だと思うので、まずは、生きることにこだわってみてほひいです。
『人は死と生きていく』という本には、以下のような内容が書かれていました。
生きていることを「当たり前」と思っていませんか?生きている瞬間、瞬間を、感じてみることが大切なのです。
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『夜と霧』(みすず書房刊)。著者はヴィクトール・エミール・フランクル(1九〇五~一九九七)というオーストリアの精神科医、心理学者です。第二次世界大戦で、ユダヤ人だった彼は想像を絶するほど過酷なアウシュビッツ収容所の支所に送り込まれました。連行されたユダヤ人のうち、九十五%が死を迎えたといわれるその場所で、三年間、耐え抜いて奇跡の生還を遂げ、その後たった九日間でこの本を書き上げたといいます。
なぜ『夜と霧』は、これほどに人々から必要とされているのでしょう。私はそれは、死を目の前に意識せざるを得ない人ですら、「希望」を持つことができるということを私たちに伝えてくれているからだ、と思います。おかれた環境や周囲の状況がどうであれ、根拠や承認を求めることなく、単に「希望」という未来を心から肩じることができた人だけが、前へ前へと進めたのでしょう。
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「未来には、あなたによって生み出される何かが待っている。人生は、あなたがそれを生み出すことを期待しているのだ。もしもあなたがいなくなれば、その何かも、生まれることなく消えてしまうのである。人生は、あなたがそれを生み出すのを待っているのだ」
「待っている人、あるいは待っている仕事への責任を自覚した人間は、生命を放棄することは決してできない。また、ほとんどいかなる困難にも耐えられるのである」
このように、彼は語っています(『フランクルに学ぶ』斉藤啓一著日本教文社刊)。
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現代の日本において、日常的に生命の危険を感じる場面は、そう多いとはいえません。生きていることが当たり前かのように感じていてもおかしくありません。
極限状態の中でもなお、あるいは極限状態に置かれたからこそ、生を渇望し、そして無念の中で亡くなっていった人たちがいた。そのことを決して忘れずに、現代に生きる私たちは、あくまでも生にこだわって、真剣に生きなければならないのではないか、と思うのです。
★『人は死と生きていく』を読んでアウトプットしてるnoteは他にもあるので、ぜひ読んでみてください。
本日は以上です。
今回も読んでいただき、本当にありがとうございました。
これからも、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに、心をラクにするキッカケになり得ることを発信し続けます。
「心をラクに」というのは、「快く安らかに過ごしている状態」という意味で使っている言葉であり、「サボる」という意味ではありません(快く安らかに過ごすために、時にはサボる時も大切ですけどね)。
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