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壁に直面したら、とことん悩んで、固有の手応えを掴むしかない(働くことがイヤな人のための本|仕事とは何だろうか)
人生(キャリア)にみんな悩んでる・・・そんな話を以下のnoteに書きました(ぜひこちらも読んでみてください)。
生きていて、何かの壁に直面した時、どんな思考でどんな行動を取るかは、人によって違います。
ただ、共通して「これが大切だ」と言えることがあります。
それは、「とことん悩んで、自分自身でその壁に対する対応方法を見出す」ということです。
今の自分では乗り越えられないような壁に直面して、その壁の向こう側に行きたいとなった時、意思決定を自分以外の誰かに委ねて、身を任せる人もいます。
でもそれは、自分の意思決定じゃないので、進んでいて「違ったな」と思った時に、「自分で決めたことじゃないし」と言い訳をして、他責にしてしまったりするんですよね。
未来がどうなるかなんて誰にもわからないから、意思決定には正解も不正解もないのに、「あの時にこっちに進んだ意思決定は間違っていた」と主張し始めるんです。
「間違っていた」と言い切れるのは、自分で下した意思決定じゃないからこそなんですよね。
自分で下した意思決定なら、そんな簡単に「間違っていた」と順調できないはずだから(進んだ道を正解にするのは自分しかいないので)。
生きてたら、「これはどう考えてどう進めばいいんだ・・・」と悩むシーンが幾度となく訪れます。
その時に、何も考えなかったり、ちょっとしか考えないで意思決定をすると、誰かに意思決定を委ねた時のように、「やっぱりあっちの方が良かったかも」と、考えてもどうしよもないことを考え始めるんです。
「どうすればいいんだ・・・」と悩み、答えが出ない期間を過ごしていると、前に進んでいないように思うかもしれませんが、そうやって悩むことが自分という存在が確立していく上で大切なことだと思うんです。
「これだ!」と言い切れるほど、明確な自信を持った意思決定ができるようになるには、時間がかかるかもしれません。
最初のうちは、「こっちに進んでみよう」という実験的な歩みかもしれません。
ただ、それでいいんです。
実験を繰り返すうちに自分のことがわかってきて、「こっちに進んだらこうなるかもしれない(厳密に言うと、「こっちに進んだら自分はこう思うようになるかもしれない」という表現ですね)」という予想が立てられるようになります。
人生のいろんな分岐点で悩むことって、本当に正解がありません。
じゃあ、どんな基準で意思決定していくのかというと、「自分はどう生きたいのか?」「自分はどんな人生を送りたいのか?」「自分が人生に大切にしたいことは何か?」などの問いに対する自分なりの答えなんですよね。
これらの問いに対して自分なりの言語化ができていたら、「どっちに進もうか・・・」と悩んだ時に、「こっちに進むべきだよね」と自分を納得させることができますからね。
モヤモヤしたり、悩んだりすることは、悪いことじゃありません。
全ての人が、どこかのタイミングで直面する壁だから。
しかも、一回きりとは限らない。
何度も何度も、モヤモヤしたり悩んだりしますよ。
そういう経験を通して、自分という存在が自分の中で確立していき、自信を持って意思決定ができるようになります。
ひたすらに考えて、とことん悩みましょう。
『働くことがイヤな人のための本|仕事とは何だろうか』という本には、以下のような内容が書かれていました。
主婦のUさんは夫と子供たちが家を出たあとで、毎日類杖をついて考えている。別段、夫にも子供たちにも不満があるわけではない。だが、このまま夫と子供たちだけを生きがいに、必死に世間体をついながら年取ってゆき、そして死んでしまうのだとしたら、あまりにも虚しい。なんと、つまらない人生なのだろう?
※他にも具体的な事例が紹介されています。
◆
私の考えでは、日夜膨大な数の人がこうして呟いている。いや、これまで何億の人が、こう呟いてきたのだと思う。しかも、その大多数の者が、この呟きを真剣に受けとめず、大学に合格したとたんに、転職が成功したとたんに、孫が無事誕生したとたんに、「ああ、これでいいのだ」という欺瞞的(ぎまんてき)な態度に逆戻りしてしまう。真剣に悩んでいたことをフッと忘れるふりをしてしまい、そのまま自分をごまかして死に向かって駆け抜けるのだ。
だから、あなた方のように、人生において何らかの壁にぶちあたり、呟きつづけていることは、とても貴重なことなのだよ。そのグチャグチャした感じをけっして忘れてはならない。あなた方のまわりには、鈍感で善良な市民たちがウヨウヨ生息していて、「治してあげよう」「もっと幸せにしてあげよう」と手ぐすね引いて待っている。「もっと前向きに」とか「もっと明るいことを見て」という腐りに腐った言葉をあなた方に投げつけて、あなた方を「救おう」としている。
その手に乗ってはならない。あなた方の悩みはとても「健全な」悩みなのだから、それを大切にしなければならない。あなた方は悩みつづけなければならず、そこからごまかしのない固有の手応えをつかまねばならない。それには辛抱強く自分の声を聞く訓練をしなければならず、それには世の中で通用している価値を徹底的に批判的に見る訓練をしなければならない。そこからいったん脱して、何が自分にとって重要なことかトコトン見る訓練をしなければならない。
私の実感なのだが、あなた方の呟きそしていま私が挙げた人々の呟きは、多様なように見えて、その内実は恐ろしく似ている。自分がたまたま生まれてきて、そしてまもなく死んでしまう「意味」を知りたいのだ。これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。充実して生きる道を探しているのだ。それが、何にも増していちばん重要なことなのだ。
本日は以上です。
今回も読んでいただき、本当にありがとうございました。
これからも、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに、心をラクにするキッカケになり得ることを発信し続けます。
「心をラクに」というのは、「快く安らかに過ごしている状態」という意味で使っている言葉であり、「サボる」という意味ではありません(快く安らかに過ごすために、時にはサボる時も大切ですけどね)。
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