
私も夫に『同じもの』を押し付けていたという話
子供が生まれたなら、より一層仕事に励まないとだな。
子供が生まれた男性が思いがち、言われがちなのはコレだろうか。
一方の女性は。
ご存知の通り、寝る・食べる・出す、全てにおいて変化が強いられる。
好きな時に寝ることも起きることもできず、食べることもトイレに行くことすら制限される。これまで自然に行ってきた生活の隅々まで『子育て』が浸食してきて、自分の時間もなくなれば、自分の体ではない気すらしてくる。
人間の赤ん坊は、自分で動くことすらできず、24時間全方位のお世話が必要な状態で生まれてくる。そこは致し方ない、受け入れるしかない変化だと認めよう。
しかし認められないのは、夫がその変化をこちらに押し付けるばかりで、自分は独身時代と変わらない生活を送ることだ。同じ家にそういう大人がいることの精神的苦痛は、赤ちゃんの大変さを上回る。私にとっては仕事は、子育てほど大変ではない。
好きな時間に寝て起きて、「ご飯は?」と聞き、思い立ってひとりでフラッと出かけ、好きな時間に帰ってきて、また「ご飯は?」と聞く。
小学生か???小学生なのか???私は小学生と結婚したのか???
子育ての負担をすべて押し付けてきた夫に、なんとかその重荷を共に背負ってもらうよう働きかけてきた。
例えば休日。子供たちは家にいて、休みの日なのに私は休めず、ちょっとホッとひと息つこうと座ればワラワラと子供たちが寄ってきて、『退屈ボール』を投げつけてくる。『退屈ボール』は私の体に当たり顔に当たり、最初こそかわし、気にならないふりをして、なんとか子供と自分をなだめるのだが、やっぱり何個もボールを投げられていたら気になって落ち着かない。
『退屈ボール』は夫にも投げられるが、夫は頑として応じないので子供もそのうち夫には投げなくなり、対象は私ばかりになる。
もう出かけるしかない。
公園を回る休日が続く。家に帰ってきても座る間もなくお世話、食事作り。
日常に息が詰まるようになる。
近場でもいいから、出かけたいな・・・
ここから先は
¥ 100
ありがとうございます。今後の活動の原資にさせていただきます。