なぜ働く母になったか?③育児家事仕事の両立~問題多発の2人目妊娠
ワーママゆうこ、なぜワーママになったか?の話の続きです。
①:母の言葉、まわりの環境から自然と仕事を辞めずに、産休に入るまで
②:母になってから産休育休を経て職場復帰するまで
今回の③は職場復帰して子育てと両立してからの話です。両立なんて全然できなく、両方とも立てずにフラフラ…
復帰して2ヶ月になる頃、息子がロタウイルスにより入院、1週間隔離病室に入りました、予防接種が日本で認可されたものの、すでに受けられないタイミングになり、かかったため、なんとも言えない気持ちになりました。こどもが心配な中、仕事を休んでいる負い目もありました。
卵アレルギーもその頃わかり、退院後、保育園の給食にすべてチェックを毎月入れていました。負荷テストの入退院を繰り返しながら、6歳まで続きました。
病院の通院、入院は私メインの仕事、料理は旦那、洗濯はわたし、掃除や買い物は気がついた方がする、という、やんわりな役割分担で、共働き生活を送っていました。
復帰してあと少しで2年の時期に、第2子を妊娠しました。片側の卵巣が腫れていたり、妊娠がわかった頃に息子が熱を出したり、離れた病児保育に預けにいったり…
さらに、仕事でも月2回程度出張、子連れで出張し実家の親に預けることもしばしば。旅行も友人の結婚式も参加。1人目の時、何もなかったからと過信しすぎて、行動していました。
予定日約3ヶ月前の妊婦健診、切迫早産で自宅安静に…引き継ぎ半ばで職場にいけず、電話しながら、なんとか職場のみんなに助けていただきました。戻ろうと自宅安静していましたが、早く出たがるお腹の赤ちゃんには逆らえず、2ヶ月前には入院、トイレ以外は動けない点滴につながれた生活になりました。もう仕事には戻れない生活に。
働く母これまでか、と思いましたが、有休、私傷病休暇、産休育休の合わせ技で乗り切るアイデアをいただき、なんとか乗り切らせていただけると運びとなりました。
ここからの切迫早産による長い入院生活が、その後の生き方に大きな影響を及ぼしました。切迫早産の話は、かなりとガツンと来ましたので、また書けたらと思います。