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コンサートにいくと、カラダが音楽を覚えている。
コンサートに行くと、なんとなく知っていた曲が、
ちゃんと知っている曲に変わる。
こんな経験をしたひとは、いらっしゃいますか?
わたしは、よくそんな経験をするのです。
アリスのコンサートもまさにそうで、コンサートに行くまでは数曲だけ、それもかなりメジャーな曲ばかりを聴いていた。
チャンピオンとか、冬の稲妻とか、遠くで汽笛を聞きながらとか。その世代の人であれば誰でも知っているような曲を熱心に聴いていた。
でも、コンサートに行くと、結構メジャーではない曲をちょくちょくやってくれて、意外にもそんな曲が頭の中でやり止まないなんてことはよくある。
今はなんでもインターネットで完結してしまう時代。
それはそれで便利なんだけれど、心と体がきちんと消化して自分の一部になっていく感覚が随分と減っている気がする。
サブスクなんか最たるもので、簡単に曲が見つかり、その場ではすぐ聞ける便利さがあるんだけれど、何度も聞かずに次のリコメンドされた曲に走って行ったりしまう。
それでは、自分の中で消化できないことは、頭ではわかっているんだけれど。
中学生の頃に、図書館に言って、一度に三枚しか借りられないという条件がついていた時の方がよく音楽を聴いていた(ような気がする)
お金がなかったから、CDを好きなように買うことなんてできなかったし、図書館にいくのもなかなか遠かったから、いく時に借りてくるCDは大切に聴いた。
CDからカセットに録音したり、MDに録音したりして、何度も何度も聴いた。その時の音楽は今でも歌える曲ばかり。
ライブの話に戻すと、ビリージョエルのコンサートにいった時のこと。
彼が、コンサート中盤で観客に問いかけた。
今からいう2つのうちのどちらを演奏して欲しいか、拍手で答えてください。
観客にそう質問していた。
その選ばれた曲は、ロンゲストタイムという曲で、全く知らなかったのだけれど、今では自分の私的ビリージョエルベストには必ず入る曲になった。
目の前で、自分たちの選んだ曲が生演奏しているということは、目に見えないところ、心のずっと奥の方にぐっとしみ込んでいるような気がしたのだ。
今はミュージシャンはCDではなく、コンサートで稼ぐというけれど、そもそもレコードが存在する前は、みんな生演奏だった。
歴史は繰り返すと言うけれども、音楽も、レコードやCDのようにグルグルと回っているのかも知れない。