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いじいじして、のんびりしてない?アタシたち。(小津安二郎監督・長谷紳士録)

仕事で忙しいと、どんどん自分の世界が狭くなって行く。

忙しくなればなるほど、そう思う。

会社内の政治や人間関係など、自分の人生最後の日には、どーでもいいことばかりで、頭の中がいっぱいになる時もある。

(とある調査によると、仕事を一生懸命やらなかったことを、死の直前に後悔する人は、ほとんどいないという。そう考えると、日々の優先順位を丁寧に確認することは大切な気がする。)

とにもかくも、多忙の隠れ蓑にいる時は、日常から飛び出すために、本を読んだり、映画を観る。

今日は久しぶりに、小津監督の長谷紳士録を観た。
70分は短いようだけれど、観終わった後に物足りなさはない。

戦後の東京で撮影されたこの映画は、物語はもちろん、現在とは違う、焼き尽くされた東京を映し出している。

子供が嫌いだったおたねさんが、孤児と思われた少年を嫌々自宅に止めたことから、物語は進んでいく。

最初は、すぐにでも離れたいと思っていた、おたねさん。
そんな少年に対して、愛情をもち、自分の子供にすることを決める。
その後に、本当の父親が現れ、この話は無くなってしまう。

けれども、最終的には、少年の幸せを想い、感極まって涙する。

そして、「子供っていいもんだね」という言葉が、おたねさんの口からこぼれる。

子供に対して、たくさんの不満を語ったおたねさん。
それが1週間の時間を通じて、心境が大きく変わって行った。

日本がボロボロになった後、1947年に公開されたこの作品。

東京の街は今では考えられないほど、焼け野原、空っぽの世界。
上野公園の西郷さんなんて、今からみたら、孤児で溢れていて、想像できない。

そんな東京で、人間の汚さ、そして人間が持つ愛情について、些細な描写を通じて、丁寧に描かれている作品。

この映画の中で、印象的だった言葉をいくつか挙げてみたい。

これから親子が一緒に仲良く暮らせると思ったら、どんなに嬉しかろうと思って、泣けちゃったんだよ。
長屋紳士録

自分の子供にすると決めて、写真撮影までしたおたねさん。
ところが、その日に、本当の父親が現れる。
そして、その父親がしっかりとした良い父親だとわかる。
がっかりして、悲しくて泣くのではなく、2人の幸せを想い涙するおたねさん。人の幸せを願い、どれだけの人が涙を流せるだろうか。

親子っていいもんだね。嬉しかったよ、私。
こんなことなら、私ももっとうんと可愛がってやれば良かったと思ってね。
長屋紳士録

おたねさんには、旦那さんと子供がいたのだと思う。
健気な子供と接することによって、もっとああすれば良かったと思いを馳せる。
ただ後悔するだけではなく、「親子っていいもんだね。嬉しかったよ。」と語るおたねさん。

忘れちゃいけない、いつまでも当たり前が続くわけではないと。
いつも、いつまでも誰かを愛し続けることはない。そんなことを考えさせられる。

自分ひとりさえ良ければいいじゃ済まないよ。
早い話が電車に乗るんだって、人を押しのけたりさ、人様はどうでもてめえだけは腹いっぱい食おうって了見だろう。
いじいじしてのんびりしてないのは、あたしたちだったよ。
長屋紳士録

2023年の現代に当てはまる言葉。人間の本質は何も変わっていない。自分だけが得すればいい。おたねさんの言葉は、そんな考え方に、警鐘を鳴らしている。

70年以上も観続けられてきた、小津監督の作品。
ファーストフードのような情報の海にどっぷりつかるのではなく、当時の日本の人たちが、戦後の大変な時期に製作した作品を見て、近くて遠い時代の日本に想いを馳せてみたい。


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