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目に見えない情報交換。(アナログを欲する令和時代)
こんにちは、デイリージラフです🦒
3月もあっという間に時間が過ぎ去り、気がつけば、来週は3月半ばです。
そこから2週間が経つと、もう今年も4分の1の終わりを迎えます。
皆さんは、今年はどんな年にしたいと思い、今日まではいかがでしょうか?
最近よく思うのですが、人生って本当に限られていて、でも全てを効率的に過ごすことはできないので、その人を形作る出来事って、本当に少ないと思うのです。
それにその人を形作り出来事だけが、効率的に人生に現れるわけではなくて、無駄なことを含めて、嫌なことやめんどくさいこともたくさんあって、日々齷齪しているうちに、やっと何かを成し遂げたという感覚が得られたりします。
何が言いたいかというと、現在のタイパ・コスパの考え方に縛られて、それについて話してばかりいると、自分が面白いと思うことに出会う機会がずいぶん減ってしまうように思うのです。
もちろん、めんどくさい飲み会や、職場の愚痴をきくランチは不毛だと思うのです。
けれども、それ以外に、少しでもあってみたいと思う人がいるならば、その人たちに会うべきだと思うのです。
人間は、言語化できるコミュニケーションよりも、非言語のコミュニケーションから情報を得ている量の方が多いというのですから、よく考えてみれば、人と会うということは、ネットで話すことに比べても、ずっとずっと情報量が多いのです。
実際に、Teamsで話したときと、その人と対面であった時のことを比較すると、覚えている量が全然違うのです。対面の時の方がずっとずっと いろいろな内容を覚えていられるのです。
(これからテクノロジーの進歩で、ネット会議が対面レベルまでいくのかもしれませんので、そうすれば状況は違うかもしれませんが)
話は少しずれるのですが、PCやスマホの画面は、青緑赤の3色を調整して、様々な色を映し出しています。
その色は、人間がじぶんの眼でみる色とは実は異なります。
もし目の前で、自分の手をスマホにかざし、その後に自分の目で手を見てください。
「自分の目で直接見る手」と「スマホで見る手」の色が違うことに気づくはずです。
こうしたことを考えてみると、実はネットで全てができそうな世の中でも、実際の世界、自分が体で理解できる世界とは、ズレが生じています。
つまり、色の例をあげましたが、
音声もアナログをデジタルにしてアナログにするという作業が入る以上、
ネット会議することによって、「対面だと感じられたこと」が「デジタルツールでは感じられなくなっている可能性」もあります。
色々と書きましたが、便利さには、元々人間ができていた能力を押さえてしまう副作用があると思います。
デジタルデジタルで便利な世の中ですが、今一度、アナログからデジタルに変換されて、失われているものについて、考えてみてもいいかもしれません。
(アナログレコードが売れたり、ライブが求められているのは、人間の本能的な欲求からのメッセージなのかもしれません)