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すべてを録画できたとしても。
この1年間で、どれだけの動画と写真をみなさんは撮りましたか?
最近はスマホだけではなくて、運転中も撮影をずっとしています。
ドラレコを車につけてみて、音声も動画も容量がある限り撮影することにあらためて驚きました。
もちろんそれが目的で買ったのだけれど、子供の頃と比べたら、本当に信じられないようなテクノロジーの時代に生きていると思う。
事故にあった時には、録音と録画した内容を見れば、何が問題だったのかわかる。
容量の多いSDカードを使用すれば、かなり長い時間を録音できます、なんてことも説明書には書いてあったりする。
その時にふと思ったのだけれど、すべてを録画できたとしても、私たちは人生を二回繰り返す時間はないので、その内容を同じようにみることはできない。
昔は録画することも、写真をとることも珍しくて、希少性が高いことだった。
だから、家族写真や修学旅行の写真は大切なものだった。
でも、今は違くて、どこでも誰でも、好きなだけ写真や動画が撮れてしまう。
そうすると、だんだんと、写真にとったからいいやとか、動画で残してあるから後で見ればいいとか、本当は今この瞬間で起きていること自体がすごいのに、その瞬間には目もくれず、容量をみながらずっとスマホを握りしめている。
これって本末転倒のような気がしてならないのです。
そう書いている自分もそうで、今日アイフォンでとった過去の写真や動画をたくさんとってきた。
でも、見直したものなんて、ほとんどない。感じることを優先せずに、記録することばかりに注力していると、心は喜んでいないような気がする。
いつでもどこでも撮れるからこそ、逆に心の中に焼き付けたり、相手のことをじっと見つめて、相槌をうったりとか、何百万枚のなんとなくとった写真より、人生の良い思い出になると思ったりします。