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音読と英文法のよい関係

英語を勉強していると、どうあがいても暗記をする必要が出てきますし、もう覚えちゃったほうが早いなと思う場合とか、覚えるのでも音で覚えてしまったほうがいいな、ということがあります。

わたしは単語帳で単語を覚えることが苦行なので、とりくんだ教材の文章から知らなかった単語や熟語を覚えることにしているのですが、それを「音読」します。

文字通り自らの声で音をアウトプットしつつインプットするような形になるわけですが、最初のうちはホントしんどい。
声に出して文字を読むということに慣れていないだけだと思っていたのですが、少しずつなぜ読むのがしんどいのかがわかってきました。

まず、読んでいる時に自分の意識がどこにあるのかを観察してみたところ、文字の上に目を滑らせてそれを「読んでいるだけ」だということに気づきました。

さきほど、「自らの声で音をアウトプットしつつインプットするような形」と書きましたが、実は“表面的”なアウトプットだけしかできていないのでは? という疑いが首をもたげたのです。

嫌になる過程はいままでの経験から言ってこうです。
読むことに必死で自分の声も大して聞こえていない、しかし30回くらいやるとなんとなく口が慣れてきて部分部分は暗記し始めるのですが、そこまでの回数をこなすのも読むことに必死でしんどくて嫌になるし、覚えられている気になれなくてやりたくなくなる。これです。

自分のこと以外の日常が忙しくなってしまって勉強が継続できず、ということの他に、音読がめんどうだからサボるうちにモチベーションが下がって英語の勉強もしばらく休止、ということも今までにありました。

今年の春に勉強を再開して、夏頃『英文法基礎10題ドリル』という参考書を2周したあたりで、試しに音読をしてみて冒頭に書いた「ただ読んでいるだけ」ではないか、ということに思い至るのです。

それには果たして意味があるのか? 今までの経験上、絶対に嫌になる。ならばどうするべきか。ただ、読むだけではなくてこのドリルでやってきたことを意識すべきではないか、そう思いました。
最初のうちは意識することが多くて必死ではあるのですが、しだいに音読が苦しいものではなくなってきました。

このドリルでは各講のEXERCISES Aの[1]ではかならず、主語を四角で囲み、動詞に下線を引き……という練習をするのですが、それを全問でやったのとあわせて主語の下に小さく「は・が」、目的語に「を」をつけるということをやりました。

この取り組み方でドリルを2周したあたりで、だんだんどこが主語でどこが動詞で、ここがこうなっているんだから形容詞しかありえないよな……ということが意識できるようになっていたので、それを意識して音読をします。

最初のうちは要素ひとかたまりごとにゆっくり、ここにあてはまるのはこれ……それはこういう理由だから……と思いながら読むのですが、10回も読む頃にはよどみなく読めるようになってきました。

そうなってくると、もう音読はつらいものではなく、形合わせブロックをやっているようで楽しくなってきます。

なんどか音読したのち、目をつむって読んでみるというチャレンジをするときも、ひとつひとつ主語、動詞、修飾語……と文を組み立てていくつもりで読みます。とはいえ、いちいち主語だ述語だとは思わないものの、表現しにくいですが覚えた文章にそれぞれ印がついているように見えるので、ぽんぽん組み上げていく感じ。

音読を成り立たせるためには英文法があると楽になるんだな、と気づいたときは、めっちゃ大事な基礎じゃん! と思いましたし、基礎っていうのは基礎だからって簡単っていう意味ではないし、それこそ自分の土台を作るために何度もやるべきことなんだな……と、人生30数年生きてきて、気付くの遅かったけど気づけてよかった、と思いましたw

いくらやっても忘れたりとかうっかりミスするときがあるのですけど、文法はホントうすーくうすーく塗り重ねて分厚くなるよう習得していこう、と心から思いました。

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くつしたや a.k.a. 仮庵
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