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ハグの話

ハグの話。

今日のスペイン語クラスで、クラスのメンバーと先生と''Hug''について話したんだけど、

それが超興味深くて、楽しい話だったからアウトプットしよ🤔✨

Hugは挨拶🤝っていう国がいくつもある。

日本では、特に、アメリカ=Hugみたいなイメージがもう根付いてるんじゃないかな?

私からみると、まだまだ日本はHugのコミュニケーションが少ないと思う。

うん、少ないよね?😹

でも、今日のクラスメンバーとの会話の中で、やっぱり、Hugの力ってすごいって思った。

''外国らしさ''のイメージ?が強くつきすぎて、日本人はそんな文化ないね〜っていう概念がほんとに、もったいないなと思った。

自分も含め!!

わたしも、異文化交流の機会が身近にあるけど、いざ自分が人にハグされると、特別視してしまうと思う。

例えば、私の場合は、相手が外国の方なら、Hugが挨拶でコミュニケーションの一つだという『前提』があるから、やっほーみたいな感覚で受け入れてる気がする。

でも、これが同じ日本人、そして、男性だったら、少し違和感を感じてしまうかもな〜って思ったのが本音。

この違和感っていうのは、悪いことじゃなくて、なんていうのかな😂

慣れてないことへの抵抗感なのかな〜

その男性との間に1000%恋愛感情がない関係性でも、『あ!Hugなんだね!』って印象はあるというか。

そこから意識が始まるとかではなくて、ただただスムーズなコミュニケーション、としては受け取ってないかも。

って、思ったんだよ〜

(表現がややこしいけど😹💦)

コミュニケーションの一つで、とってもわかりやすい信頼関係の表現なのに、私が生きてきた日本では、このhugの行動一つで、人間関係の境界線が強く出てくる気がして。

もっというと、''恋愛関係''のイメージがHugにまとわりつきすぎてるというか。

このイメージも含め、もったいないな〜と強く思った理由が、家族。

みんなの家庭は、hugのスキンシップある?

私の家族は無かったかな〜

妹とかお母さん、おばあちゃんにはhugしたり、されたりするけど、これも割と大人になってからかな🫂

時代と共にって感じ。(笑)

で、

お父さんやおじいちゃんとのhugは、ゼロに近いかな😹

このとき、ハグしてくれなかったな〜と思った自分が居たけど、よくよく考えて、

『もし、ハグされたらそれを受け入れる自分いる?』

って問いたら、

『あ、違和感だな。むしろ、うぇ〜って拒むかもな』

ってなった。

そう、身近な人でさえ、こんなにhugのハードルが高いんだって改めて気づいた。

だからこそ、hug文化に馴染みがないことに対して、もったいないって思った😂

これから、いくらでも自分がやろうと思えば、
出来ることなんだけどね😇

人の受け取り方次第なのは重々承知だけど、

hugが与える『安心感』はめちゃくちゃパワフルだと思う。

『あなたを大切に思っています、大事に思っています。』

ってことが直球で伝えることができる。

これがもう挨拶同然、文化としての共通認識になっている国の人たちは、毎度毎度のhugにこんなに反応しないと思うけど、無意識に相手からの『安心感、愛情、信頼』を受け取ってると思うんだよね。

エナジーチャージ。

日本人の心の幸福度を上げるのって、hugだったりして。

たかがhug、されどhug。

愛情を受け取りつつ、与えられるツール。

あと、自立心のサポートもしてくれる。

これはクラスのメンバーの一人が言ってたことで、腑に落ちたこと。

子どもの頃は特に、自分が大事に思っている人達から、『大切だよ』『大好きだよ』『愛してるよ』って感じられる場面が多ければ多いほど、自己愛がすくすく育つ。

んで、それが成長していく中で、次は自分軸の確立。

家族や友達だけじゃない、社会に出てからの''人間関係''に影響されていく中で、''明確''になっていくものだと思う。

ツンツンって自分の感情や思考を揺さぶられて、どんどん自分というものと向き合わざる得ない感じ。

愛は与えるほどに増えていくっていう考え方を知った時、わかるけど、わからないみたいな感覚だった。

物質的なものと切り離せなくて、与えたら減るものだと、無意識に思ってた気がする。

今もまだ何一つ自分の中で答えは出てないけど、精神的な豊かさは、最強の大先生・姪っ子ちゃんから学び直したいと思います😺🤝


ほんとにこの気づきは、
目から鱗だった〜

めっちゃシンプルなんだけどね。

すでに知ってることに対して、改めて考える機会が与えられると、ズドーンって何かが腑に落ちてくる。

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