おしりは生き様、らしい。
おしりは生き様、らしい。
スポーツジムの広告にそう書いてあった。
それは困る。とても困る。
私のおしりは経年劣化のごとく年々重心を下に持っていっているし、自信なんて全くない。
そんな私のおしりが私の生き様だと言われてしまったら、とんでもない。困る。
でもそもそも、生き様ってなんだろう。
例えば就職試験の時。
履歴書に書くような内容で自分の人生は語りきれないし、英検準2級を持っているので資格の欄にそう書くが、実際に私は英語を喋れない。
面接で長所はどこですか、今まで1番頑張ったことはなんですか、と聞かれてもすぐには出てこない。
というかむしろ自分の長所は頑固で意地っ張りで甘えるのが下手くそなところだと思っているが、そんなこと面接で言えるわけがないので、"面接官が望む"長所を作る。
自分の今まで生きてきた最大の良さを発揮する場である面接なのに、実際には誰にどう見えているかを気にしているし、ハリボテで自分を作り上げている感じすらする。
ではお見合いの場面ではどうだろう。
私はお見合いをしたことがないので偉そうなことは言えないが、きっとこんな会話じゃないかと想像する。
おとこ「ご趣味はなんですか」
おんな「、、音楽を聴く事ですかね、、」
おとこ「そうなんですね!僕も同じです!」
おんな「どんな音楽を聴くんですか?」
おとこ「ロックとか、ジャズとか、なんでも聞きます!あなたは?」
おんな「わたしは、、、」
少し臭いというか古さを感じる会話だがそれは置いておいて、、
同じ音楽というものを趣味にもつ男女だったが、ここで女の人が「ジャニオタ」だったらどうだろうか。
自分が応援しているグループの曲を擦り切れるほど聞くので"音楽が趣味"と言っているが、相手方からロックだのジャズだの言われたら、ましてやそんなこと言われなくてもお見合いという場で、自分が男性アイドルのオタクであることを堂々という人はいないのでは無いだろうか。
だがしかし、この女の人の人生は確実にジャニオタというものが軸になっていると思うし、下手したら価値観形成においてもそのオタク活動や推しが大きく関係しているかもしれない。
アイドルを追いかけたりグッズを沢山買ったり、ライブのために遠征したり、ある程度理解のある社会にはなったが、やはりこれからお付き合いするかもしれない人に堂々とは言えない。
でもそのアイドルを追いかけるという事実が、彼女にとっての生き様なのではないだろうか。
結局のところ、生き様なんて初見でわかるものなんかではない。本当の自分なんて、面接だのお見合いだのでわかるわけが無いのだ。
友人にしろ恋人にしろ、ある程度関係性を深めて、価値観をすり合わせて、ようやく少しだけその人の生き様が見えてくるものなのかもしれない。
そして、自分の生き様ってなんですか?と聞かれて答えられる人なんて、そう居ない。
私の生き様を見て、と言っている人もあまり聞かない。
でも人から「あなたの生き様好きよ」と言われることはあるし、「あの人の生き様かっこいいな」と思うこともある。
生き様は、自分では見えないのかもしれない。
あなたの生き様ってこんな感じよ、と、人から教えられるものなのかもしれない。
自分はこの生き方であっているのか?と悩むことの方が多いけど、生き様を人に肯定してもらえれば、生き方に自信もつく。
結局、生き様は、おしりのようなのかもしれない。
普段は下着とズボンで隠されていて、本当に心を許した人にしか本当のおしりは見せないように、生き様もおしりのように何枚かの布で隠されて、信頼した人にしか見せられない。
おしりが自分で見ることが出来ないように、人や鏡を使わないと見られないように、自分で自分の生き様を見ることは出来ない。
困った話だが、おしりはやはり、生き様なのかも知れない。
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