同担拒否の世界
同担拒否
同担拒否という概念をご存じだろうか。
例えばあるアイドルグループのAくんを応援していたとする。
その時に、同じようにA君を好きなオタクやファンのことは好きではない、むしろ嫌い、話したくもないしSNSで見かけたらすぐにブロックをする、そんな感情を抱くことを”同担拒否”という。
また、”担当という言葉は主にジャニーズを応援する人たちのオタク用語であり、”推し”という言葉を使う界隈では”推しかぶり拒否”という言葉になる。
この同担拒否という概念はどうして生まれるのか。
例えばガンダムプラモデルを作ることが好きな人に、”同じようにガンダムプラモデルを作る人は好きではない。心の底から嫌い”という人は聞いたことがない。
ご朱印集めを趣味にしている人に”ご朱印を同じように集めている人は嫌い”という人も聞いたことがない。
この”同担拒否”という概念は、アイドルオタクならではだと思う。
基本的にこの世界では浮気や不倫という考えがあり、好きな人や付き合う人、結婚する人は一人でなければいけないというのが当たり前であり、”同じ人を好きになる”ということはその人は恋敵となる。
そんな中で、絶対的に結婚できない、付き合うことができないというポジションでアイドルを応援しているからこそ、複数人が同じ人を好きでも問題ない、恋敵にはならないというのがオタクの世界だ。(もちろん推しと結婚できないという世界は絶対的にないとは言い切れない)
だから、同じ人を好きになってもオタク同士仲よくしたり、カッコよさを共有するという世界ができる。
誰かに恋人のことをのろけることが楽しいように、推しの話をするのは楽しいし、同じ推しだと共感する感情が多いからこそ楽しさは増える。
ただし前述で言ったように、同じ担当や推しを持つ者同士が仲良くなれる条件として、「あなたも私も、絶対的に推しと結婚できない」という考えをお互いに持っていないといけない。
では同担拒否の概念を持つ人はどうだろうか。同担拒否を貫いている人の多くは”リアコ”、いわゆる心の底から担当や推しに恋をしている人が多い印象だ。
無理だとわかっていても、もしかしたらいつか何かがどうかなって、推しや担当と付き合ったり結婚する世界が生まれるかもしれない、そんな気持ちがあるからこそ、自分と同じ人を応援している人は”敵”なのだ。
(もちろんアコや同担拒否、推し被り拒否の中にもいろいろな概念がある。)
だからこそ、同担拒否をする理由としては、”誰かにとられたくない”という思いがある。
これは人間の本能ではないか。
同担拒否に対して、世間はネガティブなイメージを抱いているように感じる。
「みんなのAくんなのに、なんで独占したがるのか」
「ファン同士仲よくしていたほうが楽しいのに」
そんな考えもあるかもしれない。
しかし想像してみてほしい。
”自分の恋人がいろんな人から好意を寄せられている”
そんな状況、気が気ではないだろう。
しかもその恋人はまだ自分の手の中にない。
それがアイドルとなると、敵が鬼のようにいる。
そんな状況の中で、彼女、彼らは戦っているのだ。
リアコという概念も同じだ。アイドルに恋をしてばかばかしいという意見も聞くが、アイドルに恋をしているのではなく、”恋をした相手がアイドルだった”というだけだ。
もしかしたら、優しい人が好き、筋肉ムキムキな人が好き、と同じように、”ステージに立ってキラキラ踊っている人が好き”という人もいるかもしれない。いや、実際にいるだろう。
LGBTQの考えが浸透しつつある世の中だが、これは性別を超えた愛の考えや価値観だ。
ではその先に、立場を超えた愛の価値観があってもいいと思う。
もちろん浮気や不倫が許される世界ではないが、人を好きになってしまうのは仕方がないことだ。浮気も不倫もリアコも、一線を越えたり具体的な行動に移さなければ、自身の中にその思いだけ秘めていればいいのではないか。自身はめちゃくちゃ苦しいと思うが、、。
アイドルを好きというだけでどこか変な目で見られたり、アイドルばかり応援しているから恋人もできないし結婚できないんだよ、という考えもよく聞く話だ。
しかしこれも偏見ではないだろうか。
ステージの上に立つ人を愛する。それも愛の形だ。
同棲カップルだと公言できる世の中になるといいなと思うのと同じように、アイドルに恋をしていると公言できる世界も来たら、もっと多様性が生まれるし、生きやすいと感じる世界が少しだけ広がる気がする。
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