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[3]「ありがとう」は偉大

ある日のスーパーでのこと。

ベビーカーを押したママさんが、使用済みの買い物かごラック前で立ち止まり、子どもさんの靴紐を直してました。

買い物を終えた私は、ママさんとベビーカーを避けて反対側に回ってかごを戻そうとしました。その時、運悪くベビーカーに乗っている子どもさんがかごに手を伸ばしてきて、危うく私が戻したかごで指を詰めるところでした。
ビックリした私は、あわあわと声を上げ、ごめんねごめんね、大丈夫だった?指挟んでない?と慌てて子どもさんに謝ったんですが・・・

まぁ、子どもさんはまだおしゃべりできないくらいの年齢で、本人も驚いているようで、泣きもせずじっと私を見ていたんですが、横にいたママさんの反応はというと、私を見るでもなく、「いいですよ」「すみません」はおろか罵声もなく、子どもの伸ばした手を塞いで引っ込めようとしただけで、淡々とその場で靴紐を直していたんですよね。

子どもが泣かなかったので、「ごめんね、ビックリさせてごめんね」と言いながらその場を去ったのですが、どうも釈然としません。

ママさんからは何の反応もなかった。

私がママさんに「お子さんをビックリさせてごめんなさい」と言えばよかったのか。

謝ってほしいワケじゃないけど、無反応って・・・
せめて「何するの!?」とか罵声でもいいから反応してよ・・・

それがモヤモヤと残ったまま自宅のマンションへ戻った私・・・。

自宅のあるマンション玄関はオートロックになっていて、ちょうど住人さんが出てくるところでした。

鉢合わせた私は少しよけてその人が通りやすいようにしたんですが、住人さんから「ありがとう」と言われたんですよね。

そしたら、その前のスーパーで出会ったママさんに抱いていたモヤモヤが、瞬間どっかに飛んでったんですよ。

こういうことって、ありませんか?

「ありがとう」を言ってくれた人は全然別の人なんだけど、それまで抱いていたモヤモヤが消えて、何となくどうでもよくなってしまうこと。

「ありがとう」
という言葉は、「有り難し」という仏教語から来ているといいます。
語源はどうであれ、今は感謝、御礼の言葉を表す意味で使われます。

感謝を受けると、人は幸福感を感じるそうです。

自己肯定感を刺激され、認められた感覚が得られるんでしょうね。

ちょっとした日々のモヤモヤが、こんな5文字の言葉で消え去るなんて、「ありがとう」ってすごいと思いません?

大人になると、「ありがとう」という機会が子どもの頃よりも減ります。

感謝の思いが薄らいできているのか
コミュニケーションベタな人が多いのか
理由はよく分かりませんが、

こんなに幸せになれるんだったら、自分でもいっぱい幸せを振りまいたら、周りも幸せになるし、世界も幸せに包まれるんじゃね?

なんて、考えるのは楽観すぎでしょうか?


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