#12 ひつじとアマグモネペンテス
「さて、積もる話もあるでしょうけど、救わなければいけない子たちがいるみたい」
「わたしは感じませんけど」
「それはあなたには制限がかけられているもの。ものがたりを収集するひつじというものがたりにあなたがいる以上、ある程度は制約を受けなければならないわ」
ソファから飛び跳ね、おおきくかかとが鳴らされる。その勢いもそのままに、彼女ははねるように玄関を通り抜けて出ていった。
「しばしお待ちを」
ひつじの制止もむなしく、彼女はずんずんと森を進んだ。道中いくつもの問いをかけられようとも、何ひとつとしてとりあうこともしなかった。
幹も樹冠も落とす影をおおきくなり、大樹林にいることをひつじは理解した。
なおも彼女は止まらず、足元に横たわった太い根をよじのぼり、くぐり、まっすぐにどこかに向けて歩きつづけた。まったく息をきらさずに、たえまなく繰り出されるその一歩は、ひつじが知る彼女のものではなかった。
「やあ、きみたちも僕に不満を投げにきたのか?」
たどりついたのは、おおきなウツボカズラの下だった。ちいさな命では足りなくなり、今では荒れ狂う空なんかをたまにたべている。アマグモネペンテス、彼はそう呼ばれ親しまれていた。
しかし、最近はあまり雨雲を食べることもせず、森にはしょっちゅう雨が降りつづけ、住民たちも不満をもらす始末であった。
「困っているのよね。助けにきたのよ」
「それはうれしいな。なんだか最近、調子がわるいんだ。消化が悪くてさ」
「わかっているわ。少し失礼」
ふわりと彼女は空高く浮き上がっていった。
それはこちらであればできる芸当ではあった。しかし、いくらこちらとはいえ、肉体や法則はあくまで現実世界の理に支配される。
「つまりは」
ひつじは眩しい空を見上げ、ぽつりとこぼす。
つまり彼女は人の理を越えてしまったのだった。
急な雨が降りだした。大粒のしずくはなまぬるい。目が覚めたひつじは、ウツボカズラが消化途中の雨雲を吐き出し、空一杯に分厚い雨雲を作り上げていることをさとった。
「これは大騒ぎになる」
無我夢中で駆けだそうとするも、すぐにずんぐりと背中の毛を掴まれる。
「安心して。すぐに終わるわ」
彼女の声をきっかけに、空からは光の通がいっぱいに降りはじめた。粒は風に流されることもなく、皆ひつじの体めがけて嵐となった。あつまり、からまり、静かにねむる。あっという間の出来事に吹き飛ばされた体を起こす気力もひつじにはなかった。
「大丈夫?」
彼女は笑ってひつじを起こした。
「言ってください。もっと事前に」
「そうも言ってられな方からね。ものがたりはすでにただの単語までばらばらに消化されてしまっていたわ。多少はかけてしまったけれど、ここまで無事だったんだから感謝してほしいくらい。もうあとちょっとだったんだから」
彼女はウツボカズラに向けてふり向き、口に手を当てさけんだ。
「もう大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ。すっかりよくなったよ、ありがとう」
「またなんかあったら相談してね」
「きっとそうするよ」
彼女はかるい会釈をすると、さっさと元きた道にもどり始めた。
蚊帳の外にあったまま、ひつじは浮かない顔でウツボカズラに会釈する。
「きみも大変なんだね」
「ええ、思い出にひたる時間もありません。では、おげんきで」
「きみもね」
踵を返し、もうずっと遠くにあった彼女の背中をひつじは急いで追いかけはじめた。
#12 ひつじとアマグモネペンテス
ご清覧ありがとうございました。
こちらは前回のお話です。
ひつじとものがたりのお話はこちらにまとめてあります。