宮本浩次(エレファントカシマシ)に於ける「雨」についての考察
台風が接近し、外はそぼ降る雨。
雨といえば、何故か宮本浩次氏はいつもびしょ濡れで佇んでいる感じが付き纏うのだ。
そこで一つ、エレファントカシマシの歌詞にある「雨」の表現について考えてみようと思った。
かつて「夕立をまってた」という曲もあった程、あまり感傷的ではないものであった様に感じられる。しかしながら、近年の宮本浩次氏の歌詞の「雨」は即ち「悲しみ」を指すと解釈される。
そして、宮本氏の「雨」のイメージは決して昨今言われる「ゲリラ豪雨」ではない。「天気雨」でもない。例えるならば「驟雨」「涙雨」という表現が似合う。
そして、歌詞には対照的、又は理想への憧れを表す語句が組み込まれているのも特徴だと思われる。
私なりに曲名を列挙してみた。
「季節はずれの男」
→雨の中 俺は遠くへ出掛けよう
→今夜は俺はずぶ濡れさ
●鳥が飛ぶように生きる
「旅の途中」
→霧の中も雨の中も光に向かって
→雨の夜部屋にたどり着いた
●どこかで太陽は燃えている
「雨の日に…」
→雨の日に僕は道に迷ってる
→雨は降る 町にそしてココロに
●「いいことないかな?」僕のそんなつぶやき
「九月の雨」
→冷たい冷たい九月の雨
→降りしきる雨
●そして歩め いつか空が晴れました
「雨の日も風の日も」
→雨の日も風の日も
●輝いて
●消すな涙よわが心の灯を
「かけ出す男」
→かけ出す俺の向こうには雨が降り出して
●明日しか見えない
「飛べない俺」
→雨の中今日も探してる
●輝く瞬間を
「ロック屋(五月雨東京)」
→五月雨東京でオレ心に痛み
●雲の切れ間の陽の光あびて
「君がここにいる」
→憂鬱な雨の日も
●輝ける明日も
「幸せよ、この指にとまれ」
→雨のち晴れ
→あの雨の交差点
●暮れゆく町の空に星が一つ
「普通の日々」
→外は少し雨が降ってる
●あなたを想った
「一万回目の旅のはじまり」
→激しい雨がうつ
●ぼくは神を探していた
「『序曲』夢のちまた」
→雨になれば水が増して
→明日は晴れか雨になるだろうか
●夢のちまたへ
「きみの面影だけ」
→雨の夜も町の夢も
●輝く季節に
「面影」
→雨上がりの町を
●陽はまた昇る
「シグナル」
→雨上がりのビル
●向かうには晴れた空
「I don't know たゆまずに」
→とびらをあけりゃあ外は雨模様
●とびらをあけりゃあ外は晴れた空
「to you」
→雨のち晴れ
●光と青空に照り返されて輝き放つ
以上の様に、エレファントカシマシの「雨」は「悲しみ」の比喩であり、光、風、青空、太陽、星、鳥、輝き等を配置する事で、悲しみの輪郭がよりくっきりと如実になっている。
その事を踏まえて、ソロとしての宮本浩次氏の歌詞を読み解いてみる。
…でも、ちょっと待ってください。ソロの曲で雨のワードあったかな、と立ち止まって考えたら、ありました。
「P.S.I love you」
→雨の日傘をさすように歩いてゆこう
「Fight! Fight! Fight!」
→雨の日も風の日も行かなきゃならぬ
「passion」
→晴れのち曇りそして晴れるや
↑ 降りそうで降らなかったパターン
以上の様な感じで、宮本浩次ソロは何と雨に対して傘をさしたり雨をものともしない力強い意思が感じられます。とにかく、幸せは手を伸ばせばそこにあり、宝物は手に入れた状態の多幸感に満ちています。
しかしながら、最近少し気になるのが、宮本浩次55歳バースデーコンサートの前日に急ごしらえしたというアンコール曲の歌詞。土砂降りの雨がまたもや出現。光を求めて一人歩いた(要約)…あれ、また雨が降り出したようです。宮本独歩から最新シングルまで悲しみの雨は降らない予定だったはずなのに…。
今後の研究のためにも、発表されるであろう新しいアルバムが待ち遠しいですね。そこには果たして雨が降っているのかいないのか。まずは宮本氏の手の内を拝見と御覧じろ。
2021.7.27
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