旧東金街道と北斗七星
旧道が残っている
青葉の森公園内には、旧東金街道がわずかに残っている。旧東金街道は、千葉市の現在の中心部から大網方面へ抜ける道で、江戸時代後期に作られたと言われている。
なぜここだけ残っているのか
大正初期に農林水産省の畜産試験場がこの地域に建設され、旧道付近一帯が通行不可になった。代わりにバイパスが作られ、この部分だけ旧道が残された。その後、昭和末期に畜産試験場は筑波に移転し、跡地は現在の青葉の森公園となった。
現在はどんな感じなのか
公園内には数百メートルほど旧道が獣道のように残り、歩けるのはそのうち約150メートル。その他の部分は整備され、かつての街道の痕跡はわかりにくくなっているが、公園の出入り口や住宅街の道にわずかな名残がある。
塚が残っている
公園を抜け千葉市街方面へ進むと、片側が千葉大学医学部、反対側が住宅街という道に出て、その先で急坂を下る。住宅街沿いには二つの塚があり、かつてはどちらにも大木が生えていたが、現在はほとんど切り落とされている。調べたところ、千葉大学敷地内にも同様の塚が5つあり、これらを合わせると7つで、北斗七星の形に配置されていることがわかった。
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千葉大学医学部のキャンパス内外にある「七天王塚」は、牛頭天王を祀る7つの塚で、北斗七星の形に配置されている。これは千葉氏が信仰していた妙見信仰に由来し、平将門との関連も深い。七天王塚には将門の影武者や千葉氏の兄弟の墳墓、千葉氏居館の鬼門を守る説があり、さらには古墳時代の古墳群の可能性も指摘されている。また、「塚の樹木を切ると祟る」といった噂が信憑性を高めている。
ちょっとした歴史ミステリースポットがこんな近所にあるとは知らなかった。