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未熟と成長の間で
レイトン・ヒューイットとロジャー・フェデラーは2000年台の偉大なテニス世界チャンピオンである。現在ヒューイットはデビスカップのオーストラリア監督を務めている。
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フェデラーは先ごろ、アメリカのダートマス大学の卒業スピーチをしていた。
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どちらも今やテニス界のレジェンドとして他方に亘る活躍をしているが、彼らにも思春期があり、人間として未熟な頃があった。フェデラーは10代の金髪に染めていた頃の写真をみて「この頃は反抗期だった」とあるインタビューで答えていた。
人を外見だけで判断することは良くないが、ある程度外見をみれば、その人の内面がわかるというのも事実だ。ヒューイットもフェデラーもプロテニスプレーヤーとしてデビューした頃は長髪であった。その長髪を短髪に変更した頃が、どちらもキャリアハイの成績をおさめているところも同じである。また、どちらも息の長い選手でありヒューイットは35歳で、フェデラーも41歳で引退した。
テニスというのは、ゲームでありテニスが上手いだけでは成功しないのがプロテニスプレーヤーである。戦略、戦術も必要であるし、過酷なツアーを回り続ける体力も必要であり、怪我や病気になっても活動できなくなる。これらの総合力がお互いに高い選手であっただけに、グランドスラム優勝、世界ランキング1位、長い現役生活を可能にしていたと思う。ただ、私の主観であるが、ヒューイットの打った後の早さ、バランス能力、フェデラーのショット技術は、まだ精神的に未熟であったと思われる若い頃、いわゆる長髪の時代の方がお互いに素晴らしかった。
ヒューイットの長髪時代のコートカバーリングは過去最高の選手ではないかと思っている。ボールへ移動する早さはもちろんのこと、打つときに体勢が悪くてもコートに入れるバランス能力、打った後の体勢を戻すリカバリー力は素晴らしかった。フェデラーの長髪時代(後ろで髪を括っていた頃)のフォアハンドは、とまられてしまうとほぼウィナーになり、何とか返球しても、流れるようなネットプレーで仕留める技術は素晴らしかった。本当に素晴らしい技術、体の使い方であったのだが、どちらも短髪になってからは、その技術だけをみれば、明かに錆びついてしまったような気がするのは私だけであろうか。
私自身も歳を重ね、動きが悪くなっていることは実感できる。何となく、体の柔軟性というか可動域が悪いような感じであり、筋肉も硬くなっているような気がする。そこでストレッチや体幹トレーニングなど、あらゆるものを試してはみたものの、ぎっくり腰にはなるは、至るところが痛いはで改善される気配がない日々が続いた。そこで、年齢とともに本当は何が衰えるのかというのを、このヒューイットとフェデラーの動きで、長髪時代と短髪時代で何が変わったのか調べている。
何度も何度も2000年頃の動画と2015年以降の動画を見比べていると、あることに気づいたのである。胸の動きである。
腕を大きく使える選手というのは、テニスに限らず肩甲骨がよく動く人だと思っていた。ただ、肩甲骨に関しては2015年頃の動画をみてもよく動いている。また胸椎の動きかとも思ったが、これにも差はみられない。差はあるのかもしれないが、そもそも胸椎の回旋というのは大きな動きではないからわからない。(側屈はわかりやすい)そんなことより大きな違いとしてわかるのが胸の動きである。動くということは骨であるから、胸にある骨はと考えれば胸骨と肋骨である。胸椎は背骨であり、胸の高さに位置する背骨を胸骨というため、実際には背中にあって胸ではない。
そこでまず胸骨と肋骨をイメージしてみよう。
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最初に思っていたイメージと違うのは、胸骨と肋骨の間の隙間である。隙間とはいえないほど広く空いている。実はこの大きく空いたスペースには肋軟骨という軟骨で胸椎と肋骨をつなげているのだ。
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肋骨の前部分はは胸骨と肋軟骨でつながれ、後ろ部分は背骨とつながっている。そのどちらも一つづつの関節として動くのである。
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肋椎関節は背骨の椎骨につながっており、この椎骨はまた一つづつ椎間板、椎間関節という関節がある。また、肋骨の上には鎖骨、後ろの外側には肩甲骨がある。それらにも関節がある。
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関節には股関節、肩関節、肘関節、膝関節のような一つの関節で大きな動きがあるものと、椎間関節や肋椎関節のような、一つ一つの関節の動きは小さいが、隣り合う複数の関節の動きの総量で全体の動きを作るものがある。目立つような動きではないが、この胸付近というのは関節の数が意外にも多いことに驚かされる。
ヒューイット、フェデラーの2000年頃(上の画像)と、2015年以降(下の画像)とで比較してみた。
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ヒューイットの両手バックハンド打ち終わりである。上の2000年頃は中心に対して胸が右側にある。2000年頃はウェアがダボついたものであるためわかりにくいかもしれないが、左側の肩甲骨の位置が右に寄っている。また、回旋による頚椎、胸椎の右側屈が上の画像は見られるが、下の画像では見られない。
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フェデラーのフォアハンドでのインパクト付近である。上の画像は、右の鎖骨が胸鎖関節で、前に出ているのに対して、下の画像は鎖骨を胸鎖関節で上に持ち上げている。胸鎖関節の動きが違うため、上の画像より下の画像の方が肩甲骨が高い。
どちらの比較も、上の画像は胸付近の関節を動かして使っているのに対して、下の画像は固めて使っている。ラケットを持つ腕の動きが、上の画像は胸骨の中心部から肋骨を通して動かしているの対して、下の画像では胸椎、肋骨を固めて、肩甲骨から動かしている。背骨は上の画像では、自然な側屈(回旋によるかップリングモーション)があるが、下の画像では真っ直ぐ立てている。
肋骨は呼吸時に肺を膨らましたりするために動くことは知っていたが、背骨や肩の動きに合わせたリズム動作としても動くところであるそうだ。人間の体、動きというのは全てが関連するために、肋骨が動くことだけに囚われてはいけない。例えば、顎を強く引けば、胸骨が上がる。胸骨が上がれば鎖骨も動き、肩甲骨の位置も変わる。同時に胸骨とともに肋骨が動き、それに合わせて胸椎も動く。胸椎が動けば腰椎も動き骨盤の向きが変わる。骨盤の向きが変われば大腿骨も動くというように全てが関連して動くのが、人間の自然な動きである。
関節というのは不動関節という動いてはいけないところもあるし、少しづつしか動いてはいけないものもある。赤ちゃんの首が据わり、二足歩行で立てるようになるのは関節の動きが制限されるようになるからである。ただ、年齢とともに怪我や病気になる一因も、関節の動きが制限されていくためでもある。動くべきところが動き動かし、動くべきでないところは動かず動かさないという自然の摂理に従った使い方、維持はとても難しい。
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おわりに、長髪から短髪にして、精神的にも大人になった人もいれば、逆に年齢を重ねるごとに、その風貌、立ち振る舞い、言動が幼くなっていた人も紹介しておこう。言わずと知れたジョン・レノンである。
誰もが最初は未熟である。未熟であるということは柔らかいともいえる。一方で誰もが少なからず成長する。成長とともにしっかりはするが、柔らかさが欠けてしまう。この未熟と成長の間でバランスをとりながら楽しく体を動かしていこうと思っている。
おわり