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映画「ゆきてかへらぬ」拝観記

 詩人の中原中也と小林秀雄とのあいだに一人の女性をめぐって、こんな愛と葛藤があったとは知りませんでした。その一人の女性とは長谷川泰子といい、この映画では広瀬すずが演じています。



 この映画は、降りしきる雨にしっとりと濡れる、木目と瓦が美しい町家の風景からはじまります。瓦には柿の実がひとつ置かれていて、女は雨に濡れながら、窓枠を越えてその柿を手にします。すると、赤い蛇の目傘をさし、帽子を目深にかぶり、マントに身を包んだ青年がやって来て、玄関先でその女と遭遇し、その女、泰子は「坊や手を出したりしたら承知しないわよ」と言って、泰子と中也のふたりは奇妙な同居生活がはじまります。


 そのとき、中原中也は、詩というものをつかみたいと願う、まだ何者でもない17歳の学生であり、長谷川泰子は20歳でした。
 ふたりは京都を離れて、東京に上京します。中也は新宿の中村屋に出入りしているようですが、泰子はお金を稼ぐために松竹の蒲田撮影場で大部屋の女優の仕事をはじめます。
 そして、ある日、文学仲間の小林秀雄が家に訪ねてきて、自分の書いた仏蘭西文学の評論を渡します。それを読んで中也は詩のミューズをはじめてつかむことができるのです。さらには小林秀雄はアルチュールランボーのフランス語の詩集を渡し、これが地獄の季節かと、二人でそれを読む場面には、ランボーに思い入れのある、わたしの胸キュン場面でもあります。


 三人は湖上でボート遊びをします。それは青春というものが、かくも儚く淡く、まぼろしのようなものであることを象徴しているような、美しい映像であります。


 はじめ無愛想な態度で小林秀雄に接していた泰子は、何度か逢瀬を重ねるうちに、「わたし決めたわ」と言って、中也と別れて、小林秀雄のところに移る決意をします。

 中也は自分を裏切ったにもかかわらず、シラっと平静をよそおう小林秀雄の顔に酒をあびせかけますが、それでも大きな風呂敷に身の回りのものを包んで背負った泰子の引っ越しの手伝いをします。そこはある意味では残酷な場面ですが、中也の悲哀と泰子への執着、さらにはお坊ちゃんとしての人柄の良さが出ていて複雑な気持ちにさせられます。

 小林秀雄の家に住むようになった泰子は、おんなは身体全体で愛するのよ、と言って、小林にせまります。小林は泰子を通じて中也を見ていたようで、中也から泰子を奪ってからも、中也が天才であることを疑いません。


 そんな泰子は、いつしか神経を病み、気晴らしに中也を誘って、三人で遊園地の回転木馬に乗ったり、ダンスを踊ったりします。そこで中也がチャールストンを踊りながら、今度お見合いをして結婚するんだと相手の女性の写真を見せると、泰子は嫉妬にかられて、その写真を破り捨てるのです。気の強い泰子の面目躍如たる場面です。


 しかしながら、泰子の過度に潔癖症的な神経の高ぶりはおさまらずに、「引き戸の音の数はいくつ」などとわけのわからないことを言い、小林が大切にしていた青磁の壺を庭に投げつけるなど、その異常さに耐えられなくなった小林は泰子から逃げるように家を出ていきます。

 行き場をうしなった泰子は、ゆきずりの人に愛を乞うたり、また中也が寄りを戻してもいいと言ってきたりしますが、女優として一人で生きていく決意をします。泰子はある意味とても凛々しいところのある女のようなのです。

 三人の奇妙な三角関係はたった三年で終わったようですが、その後も中也はなにかにつけて泰子を助けたりして、その腐れ縁は続いていったようなのです。

 中也の詩に「せめて死の時はあの女が私の上に胸を披いてくれるでせうか……」という詩があり、また「僕が死んだらあいつに読ませたいです」と語っていた原稿があったそうですから、あるいは泰子は中也の詩のミューズだったのかもしれません。

 少し話は映画からそれてしましましたが、何年か経ち、偶然にも撮影現場で三人はめぐりあいます。泰子は、わたし少し背中が曲がったみたいと言います。どうしてと聞くと、二人の支えがなくなったからと少し寂しそうに答えます。

 そして、最後に中也は結核菌が脳に入って脳膜炎になり30歳の若さで亡くなります。泰子と小林は、海の見える葬儀場から煙となって空に舞い上がる中也を見つめます。それはあたかも、どんなドロドロした情愛やもつれた関係があっても、最期は煙になって消えてしまうというかのように、あっけないともいえる幕切れです。

 思うに、この映画は、青春の傷や痛みを思いおこさせる映画といえるかもしれません。誰だって、ひとつやふたつ、そんな青春の傷や痛みを持ち、引きずっていて、それゆえにこそ、青春は切なく、胸にせまってくるのではないでしょうか。


アルチュールランボー風の帽子がよく似合う



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錦光山和雄
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