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「ごとく」

 「ごとく」だ。


 タイトルの通り、ごとくを洗った。他にやるべきことはあるが、それでも私はごとくを洗った


 急にごとくと言われても分からない方の為に説明すると、コンロに付いている鍋とか置く丸い縁である。なお、この時点でIHの人はお帰りください。
漢字で書くと「五徳」。一説によると、20世紀前半に活躍した香港の高名な料理家である、劉伍徳(1892~1967)がガスコンロの火の熱を効率的に鍋に伝えるべく発明したと言われている。ちなみにこの説はいま私が思いついたので、劉伍徳なる人は存在しない。


 さて、そんな五徳だが、その性質からして油汚れが付着しやすい。中華料理屋とは縁もゆかりもない、一般的な家庭の、ちゃんと手入れをしているコンロですらも、半年も経てば夏場の肥満体型の人間くらいにベタベタする。分からない方はサウナから出てきたメタボに「触らせてくれないか」と懇願してみてください。

 もちろん、半年に一度、重い腰を上げないように工夫して洗うわけなのだが、どうしたって長年使っていると、取りきれない汚れが産まれ、そして育ってしまう。成長の憎しみである。

 そして、その汚れを見るたびに「半年後の自分がやってくれる」と先延ばしにしていくのが人間の性である。こちらは一切成長しない。しかし、いつかその溜まりに溜まった汚れに向き合わなければならない日が来るのだ。それが私にとっては今日であった。


 ごとくを住み慣れたであろうコンロから引き剥がして、バケツいっぱいに張った、重曹を薄めた温水につける。これで半分近い汚れは取れるが、しつこい油汚れのようにこびり着いた油汚れはこの程度では落ちない。ところで、油汚れで思い出したが、最近はジョイくんのテレビコマーシャルを見ない。P&Gは彼をリストラしたのだろうか。
 ……次に、キッチン用マジックリンを吹きかけて擦る。余談だが、1クールに1回程度しか使う機会がないので、コイツを詰め替えた記憶が私の前頭葉には存在しない。彼の兄弟のバスマジックリンは1週間に1度のペースで詰め替えられているというのにだ。


 これでもまだ落ちない汚れがある。そう、これが長年放置(というか取れないと諦めていた)汚れ、通称「焦げ付き」である。油分はキッチン用マジックリン(塩基性)が溶かしてくれたが、焦げ付きはそうもいかない。なんかよくわからないが、酸性とか塩基性とかPhとかそういう話だろう。塩基性洗剤では酸性の汚れしか落ちないことはなんとなく分かる。

 というかこれを書いていて気づいたが、酸性の洗剤を使えば良かったのではないだろうか。


 ……後悔先に立たずである。しかし数時間前の私にその発想がなかったのも事実である。どうにかして取れない焦げ付きと格闘するも、相手も幾度となくその地位を防衛してきた猛者である。ブラシや多量の洗剤でも落ちない、今回も未来の自分に託すというTKO負けとなりかけた刹那、私の視界にはあるものの姿が入った。


 「定規」である。長さを測るだけではなく、細い隙間に落ちたモノをとったり、雨の時の小学生の遊び道具だったりとする、その原始的な形状に反して色々な用途を生み出してきたあの「定規」である。

 私の手元にあったのは15cm、長ければ長いほど強い定規界のヒエラルキーでは最下位、かくやシュードラであろうかという定規だが、今の私にはこれで充分だった。
 その直角を、斜面をへばり付き今やごとくと一心同体になろうとする、憎き焦げ付きにあてがう。そうして少し力を込め、定規を押してみる。するとどうであろう、いとも簡単に削り落とすことができるではないか!


 
 もちろん、汚れを削り落とそうとするなどという試みは、翻ってごとくに傷をつけることに繋がる。上記のような洗い方を劉伍徳がみたら激怒するだろう。
 しかし、今日の私の目的は「焦げ付きを打倒すること」。そのためであれば、定規に物差しとしての役割を捨てさせることも吝かではない。況や傷程度という話である。

 あくまでも道具はどこまでいっても道具なのである。そしてその道具の使い方を決めるのに道具の意思は介さない。「人間」が道具を道具たらしめる、それが今回得られた教訓ではないだろうか。


 まぁ酸性の洗剤を道具たらしめなかったのは明らかに私の想像力不足だが。あと手の汚れの落とし方を教えて下さい。


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フタコブラクダのコブを同意の上で上下左右計13個にした後に、黄色いおべべを無理やり着せる活動がメインです。最近の悩みは鳥取県の県境を超えられないこと。