木箱記者の韓国事件簿 第43回 マロニエの美人メンバーと
2006年3月のある日。日本人仲間と連れだって金浦にあるカンジャンケジャンの名店で食事をし、その後2次会で清潭洞のバーで軽く飲み、さて3次会にどこへ行こうか――となった。仲間の1人のMさんが「そういえばこの近くにむかし歌手だったというママがやってるお店があるよ。このママがすごい美人なんだけど、どう?」と提案してきた。美人であることも気になるが、歌手というところが気になる。「だれですか?」「よく知らないけど古い人らしいよ。グループでやってたって」「えっ? だれ?」「マロニエって言ってたかな…」「決まった。そこに行きましょう!」。
マロニエというのは男女混成グループで、グループ名はそのままに、毎年メンバーの一部を入れ替えるというコンセプトで活動していた。1994年発表の「カクテルサラン」が最大のヒット曲で、ヒットした当時に短期留学でソウルに滞在していた私はその曲がお気に入りでCDも購入していた。その後しばらくして目立った活動もなくなっていたが、そのメンバーと会えるとは喜ばしい限りだ。
狎鴎亭洞のギャラリア百貨店近くにあるバー「水」がお目当ての店。Mさんは常連客のようで、店に入るとすぐママがテーブルに案内してくれ、そのまま横に座った。「実はママがマロニエのメンバーと聞いて来たのです」と来訪理由を告げるが、そういう手合いは多いのか反応が鈍い。どうも私を韓国人と思っているようだ。確かに90年代の歌謡曲を知っている日本人というのはあまりいないだろう。そこで日本人であることを明かすとともに、どれだけマロニエ好きだったかをアピールするため、「私が一番好きな曲は『カクテルサラン』で、2番目に好きな曲はモーツァルトピアノ協奏曲21番です」と話すと、さすがにママも驚いてくれた。「カクテルサラン」は前述の通り彼らの最大のヒット曲で、多くの韓国人が知っている曲だが、「モーツァルトピアノ協奏曲21番」はその歌詞の中に出てくる曲で、「カクテルサラン」の歌詞を知らなければ出てこない曲名だ。ついでに、1996年に語学留学で韓国に滞在した時に購入した彼らのアルバムタイトルも告げると、さすがにママも本当にファンであることを理解してくれたようだ。
94年のマロニエのアルバムには肝心のメンバーの写真が掲載されておらずどんな人たちなのかわからないので神秘性を感じていた。96年のアルバムではメンバーの写真が出ていたが94年当時とは一部メンバーが変わっていたが、ママはどちらのアルバムにも参加していた。その写真を記憶の底から呼び起こすと、確かに目の前にいるママが写っていたような気がする。当時その写真を見ながら、「この子かわいいな」と思っていたのだが、その本人が目の前にいるのだ。ただせっかくお店を訪問したのはいいが、サインしてもらえるような立派な色紙もなく、泣く泣くメモ用紙にサインしてもらった。次回訪問時に色紙を持参すればそれにサインしてくれるという約束を取り付け、ついでにまだCDショップに売れ残っているマロニエのCDを買って持ってくればそれにサインしてくれるというありがたい申し出までしてくれた。
留学を終え日本に帰ってからもマロニエのCDは愛聴していた。しかしインターネットのない時代に苦労して得た韓国歌謡の情報も、マロニエのことはほとんど触れられておらず、いつしかその存在も私の中で忘却の彼方へ消えていった。それが10年が過ぎて実際にこんなに間近で会うことができ、会話を交わし、お酒を飲めるとは夢のような時間だった。私がママと盛り上がっているのでMさんは面白くなさそうにしているが、いい店を紹介してもらったのでここの勘定は私が払い、ボトルもキープしておいた。Mさん行きつけの店なのでまた来る機会もあるだろう。というかまた来なくてはならない。
そう考えていたのだが、残念ながらその後いろいろタイミングが合わずに訪れる機会はなくなり、いつしかお店もなくなってしまった。手元には「キム・ミンギョン」という彼女の名前と携帯電話番号、メールアドレスが書かれた名刺が残っているが、肝心のサインは紛失してしまったようだ。この時カメラを持参しなかったことがいまも悔やまれてならない。彼女と会ったのはこの1回だけだったが、いまもマロニエの曲を聴くとこの時のことが思い出される。
初出:The Daily Korea News 2017年5月29日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。