木箱記者の韓国事件簿 第27回 爆弾処理班出動
安さんは次の日は会社を休んだが、その次の日には出勤した。立て替えていたお金も取り返し一件落着した。しかしそれから半年後の2007年2月に事件は再発した。
午後3時に仕事が終わり帰ろうとしたところを太さん(女性)に呼び止められる。「蔡部長と安さんと劉さんがいるから仁寺洞に行ってくれ」とのこと。この3人は昼休みから戻ってこず行方不明だった。「なんで仁寺洞に?」「3人ともグデグデらしい」。すべてを察した。放っておくわけにもいかず、仁寺洞にいるという3人を探しに行く。会社の1階に下りるとグデグデの蔡部長と、それを持て余している守衛、そして同じ部の女性社員が弱り顔。3人一緒だったが蔡部長は自力で会社まで戻り、受付の電話で女性社員を呼び出しタクシー代を払ってもらったというのが真相。残り2人の消息は不明のまま。蔡部長をロビーのソファに捨て置き2人を探しに行く。
仁寺洞の薬局前に2人はいた。安さんは道路に座り込んで微動だにしない。これを連れ帰るために劉さんが苦労していたらしい。2人で両脇を抱え連れて行こうするが安さんは動こうとしないのでまるで進まない。タクシーに載せようとしても暴れ、運転手に「降りろ!」と怒られる始末。次のタクシーに無理やり押し込んで出発するが、安さんは後部座席から運転手につかみかかろうとする。劉さんが横で動きを押さえ、私は助手席で運転手に害が及ばぬようにガードする。運転手にひたすら謝りながらどうにか会社に到着した。守衛の力を借りて蔡部長が転がってるソファに連行しこちらも捨て置く。これで任務完了だろう。
ようやく帰れる。1階に捨ててきた粗大ごみ2人をどうすべきか太さんに相談したら「酔いが醒めたら勝手に帰るでしょ」と案外冷たい返事。しかし5時過ぎに帰宅すると、太さんから「すぐに来て」と電話が。状況が悪化しているらしい。会社に駆けつけると1階ロビーでは阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。守衛がプリプリ怒りながら床だけは掃除してくれたようだが、吐瀉物まみれの安さんをどうにかしないといけない。太さんは雑巾を取りに行き、私に拭けと手渡そうとする。「いやいや、ちょっと待て。帰宅したところを呼び出されて後始末ですか」「男同士じゃないの」「関係ないだろ」「私だってこんなのいやよ」「同じチーム同士で面倒見ろよ」「……」。 意を決した太さん。無言で汚れた服を拭いてあげる。まるで天使のようだ。半分涙目の太さんは、上着だけ拭いてあげると下に着ているシャツは拭いてあげず、上着のファスナーを閉めて証拠隠滅をはかる。誉められた行動ではないが支持はする。
この汚い粗大ごみをどうすべきか。太さんは、私に安さんの家まで連れていけという。そのために呼んだのだと。そこに黄部長が登場。「いつもすまないね。キミが家まで連れてってくれるの?」「そのつもりでしたがこんな汚いゴミを連れて行くのは御免です。奥さんを呼びましょうよ」「しょうがない、タクシーを呼んで運転手に頼もう。自宅で奥さんに待機してもらえばなんとかなるだろ」。ところがいざタクシーが来たら、この粗大ごみを載せるのに一苦労。自宅に着いても小柄な奥さん1人では降ろせないのでは。気がつくと助手席に座っている私。「あとは頼んだよ」と微笑む黄部長。
光化門の会社から、安さんの自宅の江東区明逸洞(前回から引っ越している)は夕方ラッシュの時間で1時間ほどかかる。後部座席には安さんが横たわっている。道中でリバースされた日には大変なことになる。財布に10万ウォンの小切手が入っているのでもしものときは運転手にそれを渡して平謝りで許してもらうか、と算段しておく。いつ爆発するかわからない時限爆弾を無事に送り届けるのが爆弾処理班の仕事だが、爆発した時の処理も私がするのだろうか。
どうにか安さんの自宅に到着。不発弾だったのは幸いだ。だがこの粗大ごみを引きずり出すのにまた一苦労。待機していた奥さんと運転手も一緒になり悪戦苦闘の末にようやく降ろした。悪臭を放つ粗大ごみを部屋まで連れて帰らないといけないのだが、今回はエレベーター付きのアパートなので楽になった。とりあえず部屋に放り込んで任務は完了した。
後日聞いた話では彼らはアルコール度58度の中国酒を大量に飲んでいたらしい。当時勤めていたのは大手通信社で、昼休みの飲酒には寛容な会社だったが、これほどひどいケースは見たことがない。でも彼らにはなんのおとがめもなかった。
初出:The Daily Korea News 2017年1月23日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。
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