木箱記者の韓国事件簿 第5回 パトカーで観光した話
韓国でパトカーに乗ったことがある。決して逮捕されて乗せられたわけではない。全羅北道群山市に日本時代の建物が多く残っていると聞き、2003年10月に群山を訪れた時のことだ。群山駅に降り立ったはいいがろくに下調べもしておらず、ひとまず観光案内所に行こうと思ったのだが駅周辺には見当たらない。そこで駅前の派出所で「観光案内所はないですか?」と尋ねてみた。しかし残念ながら本当にないらしい。警官にどこに行きたいのかと聞かれたのでうろ覚えで「華僑学校ってありますよね。日本時代の建物が残っていると聞いたのですが…」と答えると、警官は派出所前に止めてあるパトカーを指さして「じゃあそこまで案内しますからあれに乗ってください」と案内してくれた。パトロールのついでなのだろうか、若い警官とその先輩の警官が前に乗り、私は後ろの席に座った。日本でも乗ったことのないパトカーだが、こうして生涯初めてのパトカーに韓国で乗ることになってしまった。
華僑学校は日本統治時代に遊郭の建物だったのだが、道中の車内で聞いた話では数年前に火事で焼けてしまい、すでに新しい建物になっているとのことだった。目当ての物件がないのならそこまで連れて行かれて降ろされても困るのだが。そう思っているとパトカーは華僑学校を過ぎ路地に入った辺りで止まった。「日本家屋は多く残っていたんですが最近は少なくなりましてね。でもこの辺りはまだ残っていますよ。人もまだ住んでいますし」。警官はパトカーを降りると周辺を案内してくれた。いまでこそ日本式家屋の復元までして観光客も多い群山だが、当時はボロボロに朽ち果てた家屋も多かった。写真撮影をするのははばかられたが、警官は「いいですよ。どんどん撮ってください」と言ってくれた。許可を得るべきは警官ではなく住人のはずだが、ありがたく撮影させてもらった。通りがかりの人は警官に案内されてカメラを構える私を怪訝そうに見ていたが、警官のおかげでトラブルにはならなかった。ちなみにパトカーの後部ドアは内側からは開けられない。降りる時にはいちいち警官がドアを開けてくれるというVIPのような待遇だった。
「さぁ次へ行きましょう」と警官はさらにパトカーを走らせる。もはやパトロールついでに案内してくれているのか、案内ついでにパトロールしているのかも定かではない。着いたところは旧朝鮮銀行群山支店。現在は復元され群山近代建築館となっているが、当時は廃墟となっていた。ナイトクラブとして使われていたのか看板が残っていた。ここもその数年前に火災が起きその後放置されていたそうだ。
「さて次はどちらに行きましょうか。管轄区域内ならどこでもお連れしますよ」と警官からはありがたい申し出があったが、そろそろおいとませねばなるまい。この日は錦江を挟んで対岸の長項に向かおうと思っていたので船着き場まで送ってもらった。警官には丁重にお礼を述べ船着き場でお別れした。こんなに親切に案内してくれるのならしっかりと下調べをしてから来ればよかったと悔やまれたが、おかげで群山という町の印象は強く残り、いつか再訪したいと思っていた。
しかし実際に再訪できたのはそれから10年以上過ぎた今年になってからのことだ。群山駅は2008年に4キロメートルほど離れた場所に移転し当時の駅はほとんど痕跡を残しておらず、駅がなくなったためかお世話になった派出所もなくなっていた。当時の駅前市場は旧駅前市場に名前を変え、ボロボロだった日本時代の建物も多くがきれいに復元されていた。長項まで鉄道がつながったため渡し船もなくなっていた。町の景色は大きく変わってしまったが、あの時の警官の親切はいまも忘れられない思い出だ。
初出:The Daily Korea News 2016年8月1日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。
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