木箱記者の韓国事件簿 第40回 南北関係が良好だった頃

 北朝鮮情勢と関連して日本から「韓国は大丈夫なのか」との連絡がくるようになった。北朝鮮関連の報道を見ると、日本は過度に危機感をあおり、韓国は過度に楽観的という印象を受ける。

 現在では南北関係は冷え込んでいるのが普通の状態となっているが、かつては極めて良好な時期もあり、韓国から金剛山観光や開城観光ツアーが出発し、開城工業団地も南北経済協力の象徴として稼働していた。観光事業は2008年7月の観光客射殺事件を機に中断され、開城工業団地は2016年2月から稼働を中断し閉鎖されている。

 少し時間をさかのぼってみると韓国でも身近に北朝鮮を感じられる場所があった。99年ごろソウルに登場したのは「玉流館」だ。平壌の有名な冷めんの店の分店という触れ込みで、北朝鮮の玉流館と正式な契約を結んで出店したという。ただ後に北朝鮮側がこれを否定したり、別の会社が独占契約を結んでいるとして商標権をめぐり裁判沙汰になったりしており、その後どうなったかは定かではない。ソウルのほか地方にも展開していたようだが現存はしていないようだ。

 2000年には北朝鮮の特撮映画「プルガサリ」が韓国で上映された。北朝鮮映画は企画展などで上映されたことはあったが、商業上映はこれが初めてとなる。映画好きの金正日総書記が、香港から拉致した韓国人の申相玉監督に撮らせたもので、特撮指導は日本の「ゴジラ」の撮影スタッフが参加し、プルガサリの着ぐるみにもゴジラを演じた薩摩剣八郎が入った。上映決定は南北首脳会談開催決定直後のことで、上映は首脳会談後となった。南北が平和ムードに沸いていた時期でもあったが、興行成績は惨憺たる結果だった。当時実際に映画館で鑑賞したが、観客は10人に満たなかった。

 2002年の釜山アジア大会と2003年の大邱ユニバーシアード、2005年の仁川アジア陸上選手権には北朝鮮から女性応援団が派遣され、その美貌から「美女軍団」として人気を呼んだ。南北関係が良好だったのはこのころまでだったのだろう。その後北朝鮮と関連して明るいニュースを見ることは減ってしまった。

 一時中断に追い込まれたりしながらも稼働を続けてきた開城工業団地で生産された製品を販売する「開城工団商会」が安国洞にオープンしたのは2015年6月のこと。久々の明るいニュースではあったが、2016年2月に開城工業団地が閉鎖されたあおりですでに閉店している。地方にも出店していたがサイトの更新も止まっておりいずれも閉店しているとみられる。

 個人的な経験では2000年の南北首脳会談を前後した時期がもっとも南北関係が良好だったと感じられた。首脳会談開催が正式発表された2000年4月10日のこと。会社帰りにビアホールに立ち寄り同僚と飲んでいたところ、テレビ局の取材クルーがやってきて隣のテーブルで飲んでいたグループの撮影を始めた。南北首脳会談開催発表を受けた市民の様子を撮るという趣旨のようで、「乾杯!」の代わりに「統一!」とかけ声をかけるよう指示していた。演出というべきかやらせというべきかはわからないが、その様子はニュース番組でしっかりと放映されていた。実際に「統一!」なんてかけ声で乾杯する人はいなかっただろうが、当時の太陽政策による南北和解ムードの高まりは肌で感じられた。南北統一までは行かずとも良好な関係が維持されるものと期待したが、残念ながら現在の南北関係はかつてないほどの冷え込みを見せている。あすの第19代大統領選挙で選出される新大統領がどのような南北政策を推進するかも気になるところだが、「統一!」を叫んで乾杯できる日はまだまだ先のことのように思える。

初出:The Daily Korea News 2017年5月8日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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