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木箱記者の韓国事件簿 第38回 金日成主席の死去

 96年から97年にかけての韓国留学中に日本の情報を得るのに苦労したものだが、日本で韓国・北朝鮮情報を収集するのも簡単ではなかった。1994年7月9日、ニュース速報は北朝鮮の金日成主席が前日の8日に死去したことを伝えた。同月25日に韓国の金泳三大統領との初の南北首脳会談を控えていた時だった。

 「これは大変だ」――。日本にいた私は情報収集に走ることになる。なぜかというと、7月末から1カ月の予定で韓国に短期留学に行く予定だったためだ。突然の金日成主席の死去で南北関係は不透明なものになってしまった。いまソウルに行っても大丈夫なのか? 

 ただ情報収集といってもインターネットなどあるわけもなく、テレビと新聞以外にこれといった手段はなかった。韓国の新聞でも手に入ればいいのだが…。そこで思いついたのが直接新聞を買いに行くことだった。NHK「ハングル講座」のテキストに掲載されていた広告で朝鮮日報の東京支局が東京・竹橋の毎日新聞に入っていることは知っていた。広告には1カ月単位の定期購読の案内が掲載されていたが、とりあえずは数日分だけで構わない。どうにか入手できないかと竹橋まで出かけて行った。事務所を訪れたのは週明け後で、金日成死去の一報が流れて数日が経過していた。応対してくれた女性スタッフに事情を説明すると金日成主席死去をトップ記事に据えた10日付からの新聞をその場で売ってくれ、その後1週間分だけ自宅に郵送するよう依頼したところ日割り料金で応じてもらえた。

 こうして無事に日本の新聞とテレビだけでは収拾できない現地の情報を数日のタイムラグはあるものの確保できることになった。ただ当時はそれほど韓国語が読めるわけではなく、漢字が多く使われていたおかげである程度は理解できたものの、必要としている詳細かつ深い情報については掲載されていてもそれほど活用はできていなかったのではないかといまとなっては思える。一般にはあまり知られていない韓国の新聞を入手したことで満足していたようだ。

 結局のところ金日成主席死去でソウルの情勢が急激に悪化することはなく、予定通りに7月29日に韓国に向け出発した。1カ月過ごしたソウルは平和そのもので、無事に短期留学を終えることができた。帰国後には新宿・職安通り界隈に入り浸るようになり、そこの韓国物産店で新聞が買えることがわかったのでその後は直接朝鮮日報を訪れたりはせず職安通りで新聞を調達するようになった。

 北朝鮮関連の情報を収集するには韓国よりも日本の方が環境が整っている。日本にいたときは北朝鮮関連書籍を専門に扱う「レインボー通商」をはじめ、北朝鮮のCDなどを販売するアジア系書籍専門店などもあり、これらのお店をよく利用していた。現在はインターネット時代になり、日本にいても韓国の情報はリアルタイムで入手でき、北朝鮮の朝鮮中央通信のサイトで北朝鮮の状況も容易に知ることができるようになった。ただ韓国からは北朝鮮関連サイトへのアクセスは遮断されているため、現在のように緊張が高まる中でもソウルにいると北朝鮮発の生の情報を収集するのは容易ではない。北朝鮮のサイトにアクセスしようとすると「Warning」の文字とともに「不法・有害情報に対する遮断案内」と書かれた韓国当局の警告ページに飛ばされる。もっとも、これとて突破する方法がないわけではない。VPNと呼ばれる通信回線を通じてアクセスすることで韓国からも北朝鮮のサイトを見ることができるようになる。VPNを使うと海外から視聴できない日本の動画配信サイトも見られるようになるため情報収集ツールとして活用したいところだ。韓国からはアクセスが遮断される海外のお色気サイトも見られるというのは内緒の話にしておこう。

初出:The Daily Korea News 2017年4月17日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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