荒野の思い出
私はチーターだ。この雄大な大地で寝て、起きて、獲物を追いかけ、喰らい、時には狩りに失敗している。ただ欠伸をしてぼーっとしている日もある。他のチーターも同じで、みんな同じような生活をしている。しかし、私自身ふつうの一個体だと思っていたのだが、どうやら少し違ったのだ。皆から恐れられているのか、避けられているのか、嫌われているのか。なんだか変わり者扱いされている。なぜこうなったのかは分からないが、いつからこうなったのかは覚えている。
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あれは、まだマトモな狩りができない頃の事だ。「お前は今日もダメだったのか」よくバカにされていた。しかしそれに歯向かう元気も無かった。偶に捕らえる獲物も小柄で弱弱しいものばかりだった。捕らえたら捕らえたで、「やはりお前の力ではそんなものだな」と別の角度からバカにされた。ただでさえ狩りが下手な私が、ひとたび不調になれば、もう全く食べるものにありつけられはしなかった。何も食べられないまま何日も経ってしまった事があった。意識が朦朧としてきた。このまま、他よりも劣った一匹として生涯を終えるのだろうと思っていた。その時、目の前にそっと肉が置かれた。誰かが食べ物を分けてくれたのだ。そんなのは気にも留めず、とりあえず肉にかじりついてしまった。その肉がもたらす栄養が体中に巡っていくのが分かった。これは誰が置いてくれたんだ、と冷静になって顔を見上げると、一匹のチーターがいた。「よう、お前も一人なのか、そうなのか、そうなんだろ」なんだか頭の悪そうな口調だった。「おれもこれっぽちしか捕まえらんなかったけど、お前死にそうだっただろ。分けてやったんたよ」悪い奴ではなかった。私がもうちょっと元気になるまで、そいつは食べ物を分け続けてくれた。そいつ自身もいつも満腹という訳ではなかったが、少ない獲物を分けてくれていたのだ。何故そんな事をしてくれているのか、私は気になって質問した。「なんで助けてくれた」そいつは「やっぱり気になるよな」そう応えた。その一言で、コイツには裏の目的があるんだな、と分かった。「おれの狩りを手伝って欲しいんだ」何か見返りを求める訳ではなかった。ただ、今後は私も狩りを手伝い、捕らええた獲物を半分こする。それだけだった。悪い話ではない、当然乗った。しかし更に疑問は沸いてくる。「何故私を選んだ」そう質問すると、きちんと理由を答えてくれた。「おれはまっすぐ走るのは得意なんだが、どうしても曲がるのが下手でね。不意を衝けたら成功するんだけども、こっちに気が付いて横に躱されたらめっきり捕らえられなくなる。お前は逆に、まっすぐは苦手だけど曲がるのは得意みたいだから」どうやら、私は知らない間に曲がるのが得意になっていたらしい。いつも獲物に躱されていたから、そのたびに方向を変えて追いかけて、躱されて、方向を変えて、それを繰り返す内にそうなっていたのだ。その様子を、こいつはいつも遠くから見ていたので、知っていたらしい。
そいつと狩りをするようになってから、実際見違えるように獲物を捕まえられるようになった。そいつが追いかけて躱された獲物を、私が捕らえる。その繰り返しだった。しかしまあ、周りからは馬鹿にされ続けた。「あいつらは一匹では何もできないんだ」私たちが纏めてバカにされていた。それでも、二匹で狩りをしている時間は楽しかった。そいつも同じふうに思っていてくれていたはずだ。でも調子がよくて乗りに乗っている時ほど危ないのは世の常であったみたいだ。ある時そいつは怪我をした。それまでは、皆が同じように狙っている大きさの獲物を狩っていたのだが、周りからバカにされているのを気にして大物を狙いにいったのだ。言い出したのはそいつだった。そいつも昔から「お前はまっすぐにしか走れない能無しだ」とバカにされて、二匹でマトモに狩りができるようになったら今度はそれもバカにされて。そいつは我慢ならなかったらしい。心の底にそんな想いを抱ええているなんて知らなかった。その中で、たまたま群れからはぐれた水牛を見かけた。その上、たまたま他のチーターも近くに居合わせていた。そいつにとっては自分の力を誇示する絶好の機会だったのだ。私たちは、水牛に挑んだ。結局のところ、油断があったのだと思う。相手は草食動物で、牙も爪も持たない、食われる側の立場だと思い込んでいた。いつもと同じようにそいつが背後から急接近した。右に躱されたので、私がそれを捕らえ、首筋に噛みついた。しかしあまり傷を負わせられなかった。水牛が体を大きく振ると、私は吹き飛ばされた。水牛は逆にこちらに向かってきた。その体躯を使って、体当たりをぶちかまそうとしていた。もうだめだと思った時、そいつが横から水牛にとびかかり、私はなんとか無事だった。水牛はそいつを振り払い、去っていった。私はそいつの様子を急いで見に行った。前足の付け根から血が出ていた。「今日はもう狩りを止めにして木陰で休もう」そう提案して歩きだそうとした時にやっと、そいつの怪我は歩けないほどである事が分かった。
それから私は、一人で狩りをするしかなかった。幸いその頃には腕前がマシになっていて、自分の食べる分はなんとかなっていた。とはいえ私はそいつを見捨てたりするつもりはなかった。狩りができるようになるまで、獲物はずっと分け与えた。その間、私はもう一つの事に取り組んだ。私も早く走れるようになりたかった。私は、そいつが全力で駆け抜けて狩りを終える頃には疲れ果てているのを知っていた。「これがおれの役目だから」そう言って嫌な顔一つ見せなかったが、正直見ていられなかった。狩りは一日一回で終わる訳ではない。私が失敗するたびに、そいつが何回も何回も全力で駆けなければならなかった。しかも自分で獲物をしとめる気持ちよさをしばらく味わっていないだろう。怪我が治ってすぐは無茶はできまい。ならばその時だけは役割を逆にして、そいつに私の役目をさせよう。そう考えていた。私はひたすらに鍛錬を続けた。
しばらく日が経って、そいつの怪我が治った。一緒に狩りに出かけた。「しばらくは、私が先に仕掛けるよ」この提案を受け入れてくれた。私たちは獲物を見つけた。こちらには気が付いていなかった。いつもそいつがやっているように、悟られないように近づいてから、私は全力で駆けて飛び掛かった。獲物に気付かれ、躱された。しかしそれに反応し、私はそのまま仕留めた。体が反応して、うまくいった。次も、その次も、そのまた次も、同じような流れで仕留めた。私は当然ながらそいつに獲物を分け与えた。
ある時、そいつが私に言った。「ここからあの木のところまで、どちらが先に到着するか、競争しよう」自分が怪我する前と同じ速さなのか不安だったのだろう。その競争に全力で取り組む事にした。私達は横に並んだ。近くに居たハゲワシが飛び立った。それが合図になった。私達は、全力で駆けた。こんなふうに、狩る必要のない走りは初めてだった。胸の内側が破裂してしまうんじゃないかと思った。脚の筋肉が燃えているんじゃないかと思った。私達は、全力で駆けた。勝ったのは私だった。ほんの僅かな差だった。「もう、元通りみたいだな」私はそいつに言った。「そうだな」そう答えた。その日は狩りを終えていたので、適当に時間を過ごして寝た。翌朝そいつはいなくなっていた。私は必死になってそいつを探した。そいつがいないと私は狩りができないのだ。いろんなところを探したが、ついには見つからなかった。私は、そいつと狩りをするのは叶わないと悟った。
それから、私はせめてあの時の水牛を倒したいと思っていた。しかし私一人では返り討ちに逢うだろう。なので、闘いに優れるチーターを探した。すぐに見つかり、行動を共にし始めた。今にして思えばあいつは狩りが下手だった。だからこそ、脚が遅い獲物に挑むしかなかったのだ、たとえ力が強い相手であっても。それから私もあいつも、狩りの対象を広げられた。これは素晴らしい事だった。強い獲物、素早い獲物、皮膚が分厚い獲物、様々な獲物を相手取って、経験を積んだ。その間私はあいつの闘い方を学び続けた。それから程なくして、あの時の水牛を見つけた。私達が負わせた傷跡があったのだ。今度ははぐれた様子ではなく、自ら一匹で荒野を闊歩していた。きっと奴は、私達を返り討ちにした経験から、肉食動物を恐れなくなったのだ。目的を果たす時が来た。私はあいつと協力して奴を仕留めようとしていた。私は全力で奴を狩りに行った。私が出せる最速で飛び掛かり、あの時と同じように躱された。私は躱した先にもう一度飛び掛かり、首元に噛みついた。歯を全力で食い込ませ、首を捻じり、水牛の肉を噛みちぎった。あいつと狩りをする中で私も強くなっていたのだ。水牛の首元から血が溢れてきた。私は嚙みちぎった肉を吐き捨て、残りの肉は全部あいつに譲った。
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この出来事があった頃から、私は周りに馴染めなくなってしまった。今はずっと、一匹で狩りをしている。孤独な狩りはとても不安だが、全力を尽くすしかない。しかしなんとか獲物に困らずやっていけている。私に近づいてくるのは、狩りについて教えてほしいというやつばかりだ。それでも、しばらく教えてやって、大して上手くもならないうちにどこかに消えてしまう。
私は、この先ずっと孤独なのだろうなと察した。