見出し画像

今の自分の仕事について 〜想像してもいなかった未来〜

 自分には夢があった。それはお笑い芸人としてテレビに出ること、ライブに出ること、チヤホヤされること、好きなことだけしてお金を稼ぐこと。特に一番夢に見ていたのは、正月のネタ番組に出ることだ。というのも、ああいう番組でネタをやっている芸人たちは、知名度も実績も実力もある人ばかり。お茶の間の人気者からライブシーンの名手まで集まっていて、皆すべからく先ほどの要素を備えている人ばかりである。そんな人達が、お笑いの賞レースとは異なるリラックスした空気感で、それでいて本人達は手を抜いたりはしない。正月のネタ番組を見ていると、単純な面白さと共に、毎日の仕事を真剣に取り組む職人のような気概を感じ取っていた。面白さの裏に隠れた真剣味、それがとてもカッコいいと思った。
 それと、自分は中学生あたりから、人を笑わせたい・目立ちたいという想いが芽生え始めていた。自身はそんなに笑いの実力は無かったのだが、周囲の友人が上手く転がしてくれていた。友人達の期待に応えるのも、それを見て他の人達が笑ってくれているのも本当に楽しかった。そういう想いとそういう経験が重なって、お笑い芸人になることを決意した。
 正直、上手くいく算段はかなりあった。自分は根が真面目だからだ。その程度の事だけども割と本気で結果に結びつけられる要素だと考えていた。というのも、ネタ番組を色々と見てきた中で、「スベる芸人はきちんと準備をしていないんだな」と考えるようになっていたからだ。「喋るテンポがたどたどしい=上手に喋る練習をしていない」とか「見た目や声量に頼ってる=中身を精査していない」こんなところである。だからこそキチンとネタを準備すれば上手くいくし、思ったよりもセンス頼みの世界ではないし、正しい努力をすれば実を結ぶ世界なのだろう、そう結論づけていた。
 更に自分の中での計画もあった。まずはお笑いをやるにあたって、非常識な生き方よりも常識的な生き方をしている方が良いと考えた。常識の枠組みから出た時に面白いのだから、常識を知ればその枠の境目を見極められる。となれば大学も社会人も経験しておくのはかなり重要だ。さらに、社会人になって金を稼げば貯金ができる。貯金があれば、月々の出費に割り当てられる。そうなるとバイト時間も減らせるので努力に割く時間も確保できる。小道具だって買える。移動費にも困らない。この計画は、いいことづくめだった。計算外だったのは、仕事が予想以上にキツく、居眠り運転で死んでしまうところだった、ぐらいだ。
 家賃手当のおかげで月給が溜まりやすく、新卒一年目には破格のボーナスが支払われ、たった一年で二〇〇万近く貯められた。そうして万全の準備をもってお笑いの世界に道を踏み入れた。お笑いを始めても、自分は努力家で計算高かった。何本もネタを作った。お金を払ってでもライブに出て経験を身につけた。テレビやYOUTUBEで公開されている面白いネタはノートに書き起こし分析をした。バラエティ番組を見て盛り上がる話題・ハプニング・展開を考えたりもした。全然上手くいかないのは努力不足で、考えが足りないと思いながらやってきた。実際こういう努力がハマって上手く行くこともあった。でも上手くいかない方が多く、基本的に辛かった。けれど、その辛いという感覚は昔から何度も経験していた。自分は最初から何かが上手くいくなんて一度も経験が無かったのだ。自分では慣れっこな状況であり、何とかメンタルを保つことができた。上手くいかない経験そのものが役に立っているという、何とも奇妙な状況はなんだか面白かった。何よりも、十四歳の頃から夢見ていた事を実行に移しているこの時間そのものが充実して楽しかった。目指しているものがあって、それに向かって進み続ける、自分はどの時期もそんなふうに生きてきた。そんな生き方が一番好きだ。その一番好きな生き方を、今人生で一番実行している。そんな毎日だった。
 けれど、現実は甘くなかった。計算ばかりしているゆえに、大きな失敗もしないし大きな成功もしなかった。45点~65点あたりをずっとウロウロしていた。大スベりするぐらいなら無難な内容に纏めていた。とりあえず大きく失敗しなければ良い、そういう考えだった。最初は「冷静な判断ができるやつ」みたいな評価を受けていた。100点120点を狙って0点になるやつに対して、「こうすれば大怪我しないのに」なんて考えていた。そんなふうに考えて1年ほど経って、段々と120点を狙っている奴が50点60点を取るようになり、120点まで届くやつも現れた。ここでやっと気がついた。自分は45点~65点を狙っている中で様々な可能性を否定してきた。もっと自由で気ままにやって良いはずの発想に、「多分こうした方が良いだろう」と自分から小さく纏まろうとしていた。するとどうなるかというと、道が開ける可能性がある場所を自ら見逃すようになってしまっていた。「自分はこうしたいけど、セオリー的にはこうした方がいい」みたいなことばかり考えていた。もっと、自分の持ってる考えとか偏見とか怒りとか癖とか、そういう歪みの部分をもっと押し出すべきだったのだ。それと、自分がやりたい事とやれる事が違うと全然気づけなかった。やりたい事から外れているという理由で、得意分野に気がつけなかった。そもそも自分は漫才でガンガンツッコミを入れるような形でやりたかった。もっと相手のペースで振り回してくるような人とお笑いをやりたかった。振り回してくるタイプの人は確かにいたのだが、そいつらは常に120点を狙っている奴だった。無難に済まそうとしてくる自分は相容れなかった、いや一緒に漫才をやってみるなんてそもそも考えもしなかった。他にも、SNSでハネるのを狙うとか友達をライブに呼びまくるとか、もっと色々と手立てはあったのに、実力だけでのしあがりたいとかそういうプライドが邪魔して行動に起こせなかった。
 自分の視野が狭い故に、何も噛み合わなかった。的外れなことをやっているのに、努力が不足している、それに運も無い、そういう結論に纏めていた。自分の発想と実行力と決断力が乏しかったと気付けなかった。その上で、ずっと噛み合わない感覚がある中で努力し続けるのは無理だった。限界を感じ、あれだけ準備した夢への道のりも、3年足らずで諦めてしまった。
 これで自分の人生は、残りは消化試合になったなと思った。退屈な人生をこなすだけになるんだなと思った。もう自分が何かに必死になって何かを追い求めるなんて無いんだろうなと思った。

 けれどそうでもなかった。

 というのも自分は今、お笑い芸人をやめて営業マンとして仕事をしているのだが、これがめちゃくちゃ楽しいのだ。その上しかも充実している。ラクとか給料が高いとか人間関係が良いとかそんなレベルの話ではない。別にベンチャー企業やIT企業で、小金を稼いで仲間と騒いで合コン行って…みたいなキラキラした生活をしているわけでもない。楽しさも苦しさも仲間とワイワイやるのも競い合うのも、全部ひっくるめて、純粋に熱中しているのだ。ここまで熱中出来ているのは、すごく単純な理由がある。お笑いをやる中で培ったモノが生かされているからだ。あれほど噛み合わなかった努力が、今はゴリゴリと噛み合っている。一番手元の歯車を回すだけで、幾つもの歯車が回って、機関が動いているのだ。
 何かしらを楽しく、尚且つ熱中するには、ある程度の技能が必要である。その技能があるから成功体験が得られるし、他人から必要とされてやる気も出てくる。やる気があるとまた技能が磨かれる。そうするとまた楽しめるし熱中もできる。とにかく好循環が起こる。そんな訳で、実はここからが本題だ。その身につけた「ある程度の技能」と自分が熱中できるようになった切っ掛けを説明したいと思う。

 ・・・・・

 ①説明が上手くなったと思う。
 新卒一年目で仕事をしていた自分は、お世辞にも説明が上手い人間とは言えなかった。サブコン(建設業の下請け工事会社)で働いていたのだが、当時はカメラの性能が低く撮った写真が確認しづらかったり、ノートパソコンが支給されていなかったので図面等を持ち歩ける量に限界があった。写真や図を用意して他人に説明するのも容易ではなかった。そんな中で上司に報連相するにあたり、「鉄骨がどうなっていて~」だとか「足場がこう組んであって~」だとか「完成までに残り〇〇日かかりそうで~」だとか、とにかく具体的な内容を言葉で伝える能力がかなり要求された。今までの人生では具体的な内容で物事を話した経験がなく、当然そんな技能は持ち合わせていなかった。なので、とにかく伝え方が分からなかったのだ。伝え方が分かっていないという自分の状況すら分かっていなかった。例えば、一つ現場を終えて上司に何も問題がなく終えられたかどうかという報告を求められた際、「天井裏から長めのボルトが見えている状態になってしまったので、汚い感じで終わってしまいました。今更ボルト切って手直しできないし、最後は見えなくなるから関係ないんですけども」と説明した。この説明を聞いた時に上司は、「それ本当に問題ないの?」と尋ねてきた。写真も撮らずに現場を離れたので実際に見せられもせず。なので上司としてはモヤっとさせられて、解消も出来ないままだった。自分としては、おそらく上司がこの状況を見ると同じ判断をしただろうと考えていたので、さほど的外れな意見ではないとも思っていた。「見た目としては問題あるが、性能としては問題もない。その上手直しするにも手間がかかりすぎるので、最低限を満足しているから問題ないと考えています」このようなニュアンスで伝えられたつもりだった。しかし上司からすれば若手が問題有る箇所を勝手に問題無しと判断したふうにしか見えなかったのだ。
 今にして思えば、この出来事もこんなふうに伝えればよかったのかもしれない。
「天井裏から中指くらいの長さのボルトが見えている状態になってしまったので、ボルトが悪い目立ち方をしています。けれど、天井は普通の梯子では届く高さではないのでボルト切って手直しするのも手間がかかる上、最後は学校の教室みたいにボードで塞ぐので問題ないと思われます」
 同じ職場の人であれば、こういう説明で充分伝わっただろう。ポイントは、『中指くらいの長さ』『普通の梯子では届く高さではない』『学校の教室みたいに』こういう文言だ。とにかく両者が知っている具体的な文言を利用して、イメージを湧かせる、そういう技術を利用すれば簡単に伝わる。これに気付けたのは、お笑いの勉強のために「すべらない話」をずっと聞き続け、文言を書き起こしたからだ。この技術を一番分かりやすく利用していたのは千原ジュニアさんだった。本人は意図しているかは不明だが、その喋り方はとにかく具体的であった。例えば「後輩芸人でちょっと変わったやつがいて。その後輩は例えばモノを買う時に…」と話し始めるのではなく、「僕の後輩に、BBQをこよなく愛するたけだバーベキューというヤツがおりまして。そいつがちょっと変わってるんですよ。例えばスーパーで買物してる時に…」と喋っていた。これだけで、聞き手が話に入り込みやすいと気付いた。「その後輩芸人がモノを買う時」という説明では絵面が浮かびにくい。ローソンでお菓子を買っているのか、ユニクロで服を買っているのか、ビックカメラで家電を買っているのか。想像に無数の選択肢が生まれてしまう。対して「BBQが好きな芸人であるたけだバーベキューがスーパーで買物する時」であれば、誰が何をしているのか、聞き手それぞれでイメージを構築できる。きっと、一通りの食材が揃えてある大きなスーパーで、肉や野菜を大量に買い込む絵面を想像できたのではないだろうか。こうする事でその後の話の展開もイメージが合致し、その続きも理解もしやすくなる。例えば、後の展開で「買物の途中でカゴを置いて」とあってもすぐに理解できる。逆に具体的な文言を利用せず、そのせいで家電を買っていると誤解した人は「家電屋で買物中なのに、カゴ? これもしかして家電屋に行ってる話ではない?」と置いてけぼりを喰らうだろう。だからこそ具体的な文言を差し込もうとすれば、その理解のために必要な文言も差し込んでいける。すると説明が上手くなる。説明が上手くなると、話すのが億劫ではなくなる。話すのが億劫でなくなると、説明をするのが大変ではなくなる。
 今では、もはや営業マンとして製品の説明そのものが楽しくなっている。これがまず一つ、お笑いで培った現在の仕事で生かされている事柄だ。

 ②人を観察できるようになった
 昔の自分は、一方的に喋っていたと思う。なんというか、相手の反応が見えていなかった。そりゃ、聞き上手な人が大袈裟なリアクションを取ってくれていたり、逆に無愛想な人がなんの反応も示さなかったり。そういうのは流石に気が付いていたが、もっと細かい部分には気が配れていなかったのだ。サブコンとしては働いていた自分は、仕事を依頼してもらったゼネコンに対して「こういう事情があるのでこうして欲しい」と一息に話してしまっていた事もある。相手が言葉を返す暇もなく、先に伝えたい内容を吐き出そうとしていたのだ。
 せっかくなので、①の内容に倣って具体的に話そう。ゼネコンから任せられた外装の工事をするにあたって、お互いの役割分担の範囲外にて金具を取り付ける必要が発生した。というのも、当初はゼネコン側にて鉄骨まで組み立ててもった後に、こちらが鉄骨の上から外装を貼り付けていくという流れの工事であった。しかし現状の鉄骨では一部外装の貼り付けができない箇所があると判明したのだ。お互いの取り決めに無い作業であるが、最終的には双方のどちらかが作業しなければならない。という訳で、依頼を受けたこちら側の判断でとりあえず貼り付け可能にする金具を取り付けた。しかしあまり安い金具では無かったので、ゼネコンに購入費用を請求する必要があった。そこで、この説明をする際に自分は一方的に喋っていた。「あの、お話があって、実は図面上のここに下地が無かったので金具をつけたんですけどその費用を請求してもいいですか?」こんな具合だったと思う。当時の自分はこの説明を、自身でもなんの説明をしているか分かっていなかったのだろう。とにかく上司に言われた「この金具の購入費用を請求してこい」という命令を遂行するのに必死だったのだ。当然ゼネコンの人には「いや払うワケないでしょ」と一蹴された。そもそも勝手に判断して勝手に取り付けたモノだ。後出しで購入費用を払ってくれ、なんて罷り通る訳がない。せめてゼネコンと打ち合わせをして金具の必要性と契約範囲外の旨を理解してもらい、実行に移すべきだったのだろう。とはいえ、だ。ここの説明の仕方が一方的でなければ何とかなったかもしれない。
 というのも、お笑いの世界には「間」という言葉がある。ボケとツッコミの「間」と客と演者の「間」。とても曖昧な言葉に思える。だが実は我々はこれをいつも体験している。自分は、お笑いライブに出続ける中でこの言葉の意味を理解した。若手芸人ばかりのライブの中で一度だけ、とんでもなくお客さんがよく笑ってくれる日があった。どの出演者も全く滑ることはなく、みんながみんなウケていた。当時漫才ばかりやっていた自分も、その日は順調にウケる事ができていた。そしてネタをやっていく中で、自分がツッコミを入れた後やたらと大きな笑いが起きた。いつもの練習の通りなら、すぐに次の自分のセリフが続くのだが、なんとなく「今ここで言葉を続けてもお客さんには聞こえないだろうな」と思った。そして笑い声が若干収まってからセリフを言って、上手いことお客さんに聞き取ってもらえるようにネタを続けられた。そこで初めて、間とは何かを実感した。今なら聞き取ってもらえる、このタイミングで言っても伝わらない、ここで間を空けずに喋ると重要な事柄だと思ってもらえない…。そんなふうに、話をより理解しやすく伝えるために必要な、僅かな言葉の隙間なのだ。この隙間がないと相手の理解が追いつかない話し方になってしまうだろう。
 ライブが終わった後、何故自分はあそこで間を空けられたのだろうと真剣に考えた。あの瞬時の判断ができた事自体が不思議だったのだ。辿り着いた結論は、自分が次に何を話すのかが決まっていたから、というもの。何を話すのか迷いがなかったので、どんなに話が逸れても本題に戻す自信があった。だからこそあの瞬間ネタの途中でお客さんの様子を観察する余裕があったのだ。毎日の料理を作るお母さんが息子と喋りながらハンバーグを捏ねるように、ベテランドライバーのお父さんが娘と喋りながらバック駐車をするように、馴れていると別の事を考える余裕が生まれる。あの時は、きちんとネタを覚えて練習したからこそ本題以外を考える余裕が生まれ、余裕が生まれたから相手つまりはお客さんを観察できた。
 あの時も自分が何を伝えるべきかしっかりと理解していれば、きっと一方的に喋らずに済んだ。さらには相手にひとまず状況を理解してもらえたと思う。「あの、実は相談したい事があって」ここで間。「図面上のここの一部に鉄骨下地が無かったんです」ここで間。「なので、きちんと作業を終えるためにも金具をつけたんです」ここで間。「そこで相談なんですが」ここで間。「その金具の費用を請求してもいいですか?」これぐらい言葉の間を作って、相手に相槌を打つタイミングを設けながら喋るべきだった。そうすれば、相手の理解のスピードに合わせながら説明ができる。仮に相手が「ここに鉄骨下地が無かったんです」のところで腑に落ちない表情を見せたとする。そうしたらその時はその下地について詳しくすれば良い。「金具をつけたんです」のところで相手が感謝してきたら、「いえいえこれぐらいは気を利かせますよ。ただその金具の金額が…」と話を繋げば良い。あの時の経験のおかげで、話をする時はまず自分の話す内容を理解しておき、相手を観察して間を作って話を縮めたり伸ばしたりする必要があった。
 理解してもらう間を設けながら話すと、今度は相手も喋ってくれるようになる。こうなると、相手の意見を聞けるようになる。相手の意見を聞けると、相手の期待している展開を察せられる。相手の期待している展開を察せられると、それに見合った提案ができる。見合った提案ができると、「この人は話が早くて助かる」と思ってもらえる。相手の期待に応えられて、「助かる」と感謝されると、自己効力感や自己肯定感がとても上がり、すると、やる気も湧いてくるのだった。

    ・・・・・

 さて、これらの他にもお笑いをやっていたおかげで、文章を推敲できるようになったとか、人前で喋る事に躊躇いがなくなったとか、自慢話はスベるから避けるべきとか、様々な学びがあったのだが文量が膨大になってしまうためこの辺りは省略しよう。
 という訳で、次の項目を最後とする。

    ・・・・・

 ③金にシビアになった
 散々楽しいとか熱中できるとかそんな話をしておきながら、最後は金だ。結局モチベーションの根底にあるのは、金なのだ。安心した暮らしも体に良い食事も感動的なエンタメも金がなければ享受できない。多額の金が必要とかそういう意味ではなく、安値であっても幾らかは支払う必要があり、0円で済んだりはしないという話だ。この当たり前の事実に、自分は気がついていなかった。なんというか漫然とバイトをしてお金が入ってきてそれをご飯やゲームやカラオケに使って。社会人になってからは漫然と仕事をしてお金が入ってきて家賃を払って旅行費に充てて酒を飲んで。とにかく、自分が入手したお金がなんで入手できたのかを理解していなかった。ただそこに在籍しているだけでお金が入ってきていると勘違いしていた。細かいことを言うと確かにバイト先・会社のために時間を使った対価としての報酬であるから、漫然としていても命令や指令をこなしていればお金はもらえる。昔の自分はこの考え方の枠組みから出られていなかった。
 お笑いをはじめたての頃は貯金が180万程あったと記憶している。例えばこれを、全くバイトせずに家賃や食費に充てるとする。出費を月々10万程度に抑えられたとしても、保つのは18ヶ月。この夢を追う中で、たった18ヶ月で結果が出るとも思えない。しかも、そこから小道具を買ったり本を買ったり壊れた家電を買い替えたり、他にも友人が結婚すればご祝儀を包む必要があるし葬式があれば帰省のための費用もかかる。健康保険費用だってある。貯金全額を自分の衣食住に割り当てられはしない。であればバイトをする必要がある。最低限5年は保たせると考えて、その期間衣食住以外で合計60万出費したとする。残り120万を5年つまり60ヶ月で割ると一ヶ月2万。これだけしか割り当てられない。となると、月々8万~10万は結局バイトで稼ぐ必要がある。すると、時給にもよるが週3回程度はシフトに入る必要がある。シフトに入らなければ金は入らないので貯金を切り崩し、すると5年後の衣食住の費用が支払えない可能性が発生する。この計算をしてやっと、「働かなければ金が入らないし、金が入らなければ生活できない」という至極当然の世の中の仕組みを腹の底から理解した。実家暮らしの当時の、体調が悪かったり都合がつかなくなったら最悪休めば良いなんて安易な考えは衣食住を親が賄ってくれていたから成立していただけだ。その頃は、金が無いと生活できない事実が他人事だと思っていた。お笑いを始めたての頃に、この世の中の仕組みを理解できたのは大きかった。チケットが売れればお金が入る。ライブに出ればギャラがもらえる。「今はバイトで生活費を賄っているが、今後はチケット代・ギャラで生活できるぐらい稼ごう」といった明確なモチベーションが生まれたりもした。

 これともう一つ気が付いたのは利益とは売上金引く仕入額でしかないという事実だ。これも至極当然の話だがバイト・新卒時の仕事をやっていた頃は、役割をこなした報酬が給料として振り込まれているという認識しか持っていなかった。お笑いライブをやるには、チケットを売って人を呼ばなければならない。当時は一枚千円のチケットを一人あたり2枚売るようノルマが課されていた。いったん二千円払ってチケットを買い取り、それを売るのだ。2枚売ってやっと赤字を回避できる。毎回2枚捌ける若手芸人なんていなかった。自分は毎回赤字だった。しかしある時、友人二人が観に来てくれるというのでチケットを買い取ってくれた。その上まだ席が残っていたので、若手みんなで手分けして劇場前で呼び込みをして、ここでもさらに1枚売れた。この分に関しては買い取りが五百円であったため、五百円の利益が出た。これこそ、人生で初めて生の利益を目の当たりにした瞬間だった。
 さらにここでもう一つ経験を得られた。その友人に言われた感想なのだが、「無名の若手芸人でも、当たり前だけどチケット代払う必要あるんだな。でも千円払った価値あったわ。けっこう面白かったよ」この何気ない話にものすごく大きな学びがあった。モノを買った側は、払ったお金以上の何かを得られれば満足する。得られなければ不満が残る。買って満足してもらえればまた買ってもらえるかもしれない。不満が残れば二度と買ってもらえないかもしれない。
 ニーズがあって、コストがあって、満足感があって。このサイクルの中で利益を生み出すこと自体が、ビジネスの基本なのだなとお笑いの中で学んだ。

 あの時の報酬はどこから来たのか? それは会社が上げた利益から支払われている。自分が会社を通じてこなした役割が利益を上げ、会社を通じてその報酬が支払われたと考えてよい。ではあの時の満足感は誰が作り上げたのか? それは会社の用意した商品や自分の仕事の手際であり様々な要素がある。どんなに良い製品を買っても、店員の態度がやたら悪いとなんだか気分が悪い。いい製品を買った満足感も減る。ならば例えば仕事中に自分が客に悪態をつくと満足度が下がる。満足度が下がるとウチに工事の依頼が来ないかもしれない。工事の依頼が来ないと会社は利益が入らない。利益が入らないと自分への報酬に支払うお金が無い。自分の行動が巡り巡って返ってくる、これに気付けた。それと、自分は世の中の端っこで隔絶されながら細々と生きているのだと思っていたのだがそうでは無い。きっとこの巡りの中に繋がりがあるのだ。

 この、利益を上げなければ生活が危うくなるという経験と、満足させないと利益が上げられないという二つの経験は自分にとってとてつもなく大きかった。
 昔は、狩りをしないと、魚を釣らないと、農業をしないと食料が手に入らない。働かなければ何も手に入らない。その切迫した事実が人に働く意義を与えていた。対して、今の時代はそうでは無い。漫然と役割をこなせば報酬が入り、その金で食料を買える。…という認識は大きな間違いだと気が付くことができた。それもこれも、お笑いをやって、夢を追いかけている時間があったからだ。今では仕事をする中で、自分の生活がかかっているとシビアな考えを持って真剣に取り組む事ができている。

 ・・・・・

 昔は、憧れているモノがあって真剣に取り組んでいた夢があって、それを失った時自分はもう何かに熱中できるとは思えなかった。けれど、夢を熱中して追いかけていたからこそ仕事にも熱中できるようになった。自分の熱が、まさかこんなふうに役に立つとは思わなかった。まさかこんなところにも伝導するとは思わなかった。
 お笑いを諦めてしまったあの時の自分は、こんな未来は想像もしていなかった。

いいなと思ったら応援しよう!