集団の中の常識
あさま山荘事件から、まもなく51年になります。事件は、私が生まれる少し前なので、リアルタイムでは知りません。テレビでは、山荘に立てこもった連合赤軍を機動隊が囲み、鉄球作戦で人質救出するという映像が印象的に取り上げられることが多いです。
私は学生時代に、雑誌であさま山荘事件の記事を目にしました。あさま山荘事件そのものよりも、その前に行われた連合赤軍内での総括と呼ばれるリンチ殺人に衝撃を受けました。興味を持ったので、当時の新聞や関連する本も読んでみました。
山岳ベースという閉ざされた環境で、総括と称した殺人が行われました。総括される理由は、活字で客観的に読むと言いがかりとしか言いようがなく、言葉を選ばなければ、馬鹿げています。しかし、そこには逆らえない雰囲気があります。不思議なのは、連合赤軍のメンバーの多くは、元々すごくまじめな人たちなのです。戦争に反対し、平和な社会を実現したいと考えていたようです。平和を希求する高い志をもったはずの若者が凶悪な事件を起こしてしまうのはショックでした。その記事を読んだ少し後に一連のオウム真理教事件があり、連合赤軍事件は過去の特異なできごとではなく、今も起こりうることだと感じました。
閉鎖された集団というのは、偏った考えが常識になることが多いのだと思います。連合赤軍やオウム真理教と一緒にしてはいけないかもしれませんが、会社などでも似たようなことは起こりがちです。
周囲がサービス残業していれば、サービス残業があたりまえになります。企業不祥事も同じような事情で起きるのだと思います。本来やってはいけないことも職場で常識となると、そこに逆らうことは難しくなります。やってはいけないという疑問すら感じなくなるのかもしれません。
会社や限られた集団の中だけにいると善悪の判断があやしくなります。会社でまじめに仕事をするのは良いですが、それだけでは危険だと感じています。私は、自分の頭で考えることや、あえて自分とは異なる意見の記事や本を読んでみることを意識しています。会社(あるいはその集団)以外の人との交流も大切だと思っています。
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