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週刊ヲノサトル vol.50 (2019.9.16-9.29)

/薔薇とロミオとジュリエット
/『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』 情報公開
/自己のアップデート
/浮世の果ては皆小町なり
/やる気が出ない時は問題
/不交付問題
/酒場の即身成仏
/25年ぶりの新宿ピットイン

昨年10月に開始した本誌の発行も通算50回目を迎えました。

始めたきっかけは、毎日フローとして流れていくツイッターの書き込みを、自分のための記憶倉庫としてストックしておけないかと思っただけなのですが。ツイッターでは文字数上、表現しきれなかったことも追加したり。筋が通るように発言の順番を入れ替えたりといった「編集」も加えて。

また、あえて有料化し、クローズドなメディアにしたことで、オープンな場所では書けないことを書き足したり、プライベートな写真や動画を貼り付けてみたり、ちょっとした遊び心も発揮できるようになりました。

こんな個人的なマガジンですが、お金を出して読んでくださる方もいらっしゃるのはうれしく、ありがたいものですね。単なるツイッターまとめにとどまらない、日記とブログの間のような文字通りの「ノート」として、気力と体力が続く限り続けていくつもりです。

50回記念で本号は無料公開。 ( vol.1 vol.2vol.3 も常時、無料公開してます)

9月23日(月)


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“What's in a name? That which we call a rose By any other name would smell as sweet” 「名前なんかどうでもいい。薔薇に他のどんな名前をつけようと、甘い香りに変わりはない」

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シェイクスピア『ロミオとジュリエット』からの有名な台詞。お互いの家名を嘆くロミオへの、ジュリエットの返事。国籍のちがう男女の恋を描いた映画『GO』でも引用されていた。

名前で、外見で、国籍で、さまざまな外的条件で人間を判断する前に、甘い匂いをかごうよ。本質を見つめようじゃないか。現代にも通じる、こういう粋な言葉が散りばめられているのが「古典」の魅力だ。

過不足なく物事を伝達する言葉ももちろん大事だが、人を魅きつけるのは案外、本筋からちょっと浮かび上がり、他のことに適用したり拡大解釈できて、記憶に残り続ける自由な言葉、詩的なイメージの言葉の方かもしれない。そして「古典」と呼ばれる作品には、両者が奇跡的なバランスで調合されている。

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縮尺はともかく、むかし東京から大阪まで車でよく移動してた頃の体感はまさにこんなイメージでした……。神奈川から静岡に入ってから、愛知に出るまでがとにかく異常に長い!名古屋をすぎたらあっという間に京都大阪なのに。

ちなみに神奈川は覆面パトカーが多い(捕まったことはありません)


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村上 「カキフライについて書くことは、自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。それには、語彙はそんなに必要じゃないんですよね。いちばん必要なのは、別の視点を持って来ること。それが文章を書くには大事なことだと思うんですよね。みんな、つい自分について書いちゃうんです。でも、そういう文章って説得力がないんですよね」

(村上春樹, 柴田元幸『翻訳夜話』文春新書,2000)

美大で学生の制作をサポートしていると、「自分の悩み」とか「自分が他者に感じる違和感」とか、とにかくみんな「自分」を表現したがる。カキフライについて表現した方が、結果的にはむしろ「自分」を表現できるのにね。

それができず「自分」にこだわりすぎ、考え込んでしまうのは、良くも悪くも「若さ」の特徴なのかもしれない。まあ、悩む時間も必要さ。最初から達観できる人間などいないのだから。


9月24日(火)

◾️2020.1.10-19『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』 @ KAAT神奈川芸術劇場、情報公開されました。

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なんとブラックベルベッツがステージに乗り、芝居と共に生演奏を繰り広げます。当方はそんな演奏用の作曲に加え、ダンス用に40分ほどの音楽も制作しなければならない。余裕かましてるとすぐに本番直前になりそうで怖いな……(汗)


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同感。自己なんか固めず「へえ、それ何?」とか「それもまた、いいじゃん」とか、ブレブレで生きていきたい。それでもなぜか残ってしまうものがあるとしたら、それが個性。

実際、今宵も打ち上げのカレー屋に誘われて「カレー、普段ぜんぜん食べないんですよね…」とかネガティブな事をつぶやきながら入ったくせに、店を出る頃には「カレー!最高っすね!美味い!酒のつまみにもいい!」とテンション爆上がりしていたブレブレな人間です。自己なんかどんどんアップデートすればいいのさ。


◾️何の打ち上げかというと。今宵は、安田登師匠が寺子屋で能「卒塔婆小町」を語るという企画にツイッターの告知で気づいて、急きょ駆けつけたのだ。

というのも来月、この能を下敷きにしたパフォーマンス『小町花伝』に、当方も出演することになっているから。少しでも情報を仕入れておきたい。

安田師の話は、いつもながらあちこちに飛びまくって面白すぎる。とても勉強になった。

この作品は、ざっくり言えば「MMK(『モテてモテて困る』の意。死語)だった絶世の美女 小野小町が、老齢となって容色が衰え、かつて自分に恋した男の霊に憑依される話」なのですが。

話をきいていたら、心霊現象というよりも、老いて精神を病んだ女がイケてた過去の自分に執着しすぎて多重人格を発症した、一種のサイコスリラーではないかという気がしてきた……

寺子屋では、この古典を下敷きに、松尾芭蕉が連歌遊びで披露したという「下の句」を教わった。

浮世の果ては 皆小町なり

渋い。

絶世の美女も大金持ちも、どうせいつかは必ず年老いて死ぬんだ。今を楽しもうじゃないか。レッツ・パーリィ!ミュージック・スタート!


9月25日(水)

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「パパ、アンパンマンは好き?」
「……。」
「なんで黙ってるの?」
「考えている。自分の顔を人にあげるような人間がいたとして、好きになれるか」
「人間じゃないよ。パンだよ。ただのパン」
「ただのパン」

#息子氏の質問


◾️
「パパは実在してる?」
「どう思う?」
「してない」

#息子氏の質問


◾️今日は一年生対象の教養講義にゲスト出演。しゃべればしゃべるほど自分はなんと軽薄な人間かと思わざるをえないが、軽薄から重厚まで様々な教員を取り揃えた多様性あふれる「知の屋台村」こそが大学であり、学生はそこから取捨選択して自ら学べばいいのだ。今てきとうに思いついた軽薄な言い訳だけど。

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話の流れで『左ききのエレン』を挙げたら、鼎談相手の同僚、佐藤達郎教授も「あれイイですよね。”天才になれなかった全ての人……ってね」とかぶせてきたので、さすが情報収集にぬかりないなと思った。なんなら美大生にはぜひ読んでほしい 『ブルーピリオド』 とか 『映像研には手を出すな』 の話もしたかったが、そういう講義ではないので自粛したよね

色々とパワーワード炸裂でしたが、学生が「やる気が出ない場合はどうしたらいいんですか」みたいな質問に、達郎先生が返した「仕事に『やる気』とか関係ないから。やる気があろうとなかろうと仕事すんだよ大人は」という発言に痺れまくりました。

ちなみに我々の業界では、それを「ショー・マスト・ゴー・オン」と表現しています。やる気があろうとなかろうと、何が起ころうと、幕は開けなくてはならないのだ。

あと学生の「仕事で大事なことは?」みたいな質問に、当方が「何であれ否定しないこと。ノーと言わないこと」と言ったら、達郎先生が「でも、じっさいには否定せざるを得ない状況というものもあってね……」と返したので、すかさず「ですよね〜!否定も大事ですよね!」と答えた。何であれ否定はしない、いいかげんな人間です


9月26日(木)

◾️今日はこのニュースが衝撃的でした

我がブラックベルベッツのライヴは、メンバーが酔っ払ったり、MCに不適切な発言があったり、ほぼほぼ予測不可能な乱痴気騒ぎなので、「具体的な演奏内容の説明がなく不十分だった」としてギャラが不交付になることも、今後は覚悟しなければならない!

◾️Goが出た後なのにああだこうだいちゃもんつけるクライアントに苦しめられた人たちが集まって政党を作る(妄想 0.001秒)

◾️すかさず出された、クワクボリョウタくんの声明。

「痛みや精神的抵抗を通して他者の立場を想像し、それぞれの立場が互いに議論の次元を高めていく、そのために芸術文化があるのではありませんか?」

アツいぜ。


9月27日(金)

◾️なかなか壮絶な、中村うさぎさんの結婚観。ついつい最後まで読んでしまった

「夫婦は『共同体』なのだ。それは『一心同体』という意味ではなく、どうやっても一心同体などにはなれない他者との共同関係なのだ」

深い。


◾️今日は酒豪部の宴会。

職業も年齢もバラバラな野郎4名が、「酒学校」とも呼ばれる 自由が丘の名店「金田」に参集した。

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こんな調子で日本酒をクイクイ空け、2軒目はバーでスコッチ・ウィスキーをゴクゴク飲り、3軒目の某高級イタリアンでは、ついに微笑みながら即身成仏と化した私。

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ご存知ない方のために説明しよう! 我々の業界用語では、酔っ払って座った姿勢のまま寝てしまうことを「即身成仏」 倒れて横になって寝てしまうことを「寝釈迦」と呼ぶのである!

なお、ついに椅子からも崩れ落ちて、床に昏倒している人は「酔死体(すいしたい)」と呼びます。

そういえば以前ブラックベルベッツで「フェスティヴァン」というワインがゴクゴク飲めるイベントに出演した時は、撤収してロビーに出たら老若男女の酔死体が床にごろごろ転がっていて笑った。オシャレな渋谷ヒカリエで。他人とは思えなかった

「酒豪部」というのは、まあシャレのネーミングだが。ぼくには、うれしいことに仕事も住居エリアも趣味も全く関係なく、酒や馬鹿話だけでつながっている友人たちがいてくれる。そういう「心のセーフティネット」はとても大事だ。

撃沈後のこういう写真も撮影してくれるしね…… (≖ ‿ ≖;)


9月28日(土)

◾️今日の午後は新宿ピットインにて、織原良次(bass)荒悠平(dance)のユニット floor girl にゲスト出演。事前打ち合わせゼロの完全即興演奏45分×2セット。デジタルシンセ、アナログシンセ、サンプラー、リズムマシンで勝負しました。

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45分×2セット。終わってみれば、あちこち放浪する旅から帰った後のような、とりとめない長い夢からさめた後のような、なんとも不思議な心地よさでした。

織原さんとのセッションは初めてだったが、1セット目はお互いの思考回路が似て面白かった。たとえば、ふわっとした音響状態が続いた時(ちょっと景色を変えるにはポコポコした短い音を混ぜると効果的だな……)と考えてそんな音を出すと、ほぼ同時に彼も同じような音を出し始めている、というようなシンクロ具合。

おそらく僕も彼も、自分が出したい音を出すというよりも、全体の音響をデザインすることを重視するタイプなのだろう。

一般に、ベーシストにはプロデューサーやアレンジャーとしても活躍する人が多いようだ。サッカーで言えばゴールキーパー、野球で言えばキャッチャーのように、全体像を俯瞰する司令塔のような存在。「俺がシュートを決める」ことより「ゲームがうまく進行する」ことを優先する人間が多いような気がする。

ちなみにベースと言えば、某大所帯バンドのベーシスト K上氏と飲んだ時、「ベースやってて一番辛いのは、手が離せないことなんだよねー。汗がふけない。ギターとか他のパートには休みがあるけど、ベースにはない」と語っていたのを、今でもおぼえている(笑)

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会場の新宿ピットイン、ずいぶん昔に出演したなと思って記録を掘り起こしたら、なんと24年前、1995年のことだった。光栄にも大友良英軍団の一兵卒として、サンプラーとターンテーブルを「演奏」した記憶がある


◾️
「パパは非情?」
「いや。情はある」
「情なんかないでしょう」

#息子氏の質問

9月29日(日)

◾️昨日の即興演奏をみたプロデューサーから「来て実際に観れば面白いんだけど、この面白さを事前にどうやってお客さんに伝えて集客したらいいのかわからないよね」と言われた。名づけようのないもの。今そこにしかないもの。だからこそ価値があるのだが、その価値を伝えることは難しい


◾️大人はみんな忙しいが、どんなに忙しくてもその人と会う時間だけはなんとかして作ろうとする感情を、恋と呼ぶ


それでは、また来週。

(2019. 10.1)

http://www.wonosatoru.com


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