言葉は体を表す
「アートに言葉はいらない」と言う人がいる。
確かに、言葉を介さずにコミュニケーションできるのは、アートの魅力の一つかもしれない。だが、すべてではない。
音楽の場合、器楽曲には言葉に縛られないイマジネーションの自由がある。しかし歌曲になると、歌詞という「言葉」が加わることで、さらに重層的な表現が可能になる。
言葉は大事だ。鑑賞者ならともかく、少なくとも作り手をめざす人間にとっては、言葉という便利で強力な「ツール」を通じて発想を広げたり、自分の考えを整理したりする作業が、不可欠と言っていいだろう。
だが、たとえば美術大学に入ってくる学生には、内向的というか、言葉でハキハキと説明するのが苦手なタイプも多い。言葉を要求すると「そもそも言葉で説明できないから、作品で表現してるんです!」と反論してくる場合もある。
そこで教員としては、言葉の瞬発力を鍛えるために、一種のウォーミング・アップを仕掛けることがある。
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たとえば「しりとり」だ。
「リンゴ」と言われると、何の疑問もなく「ゴリラ」と、思いついた言葉を条件反射で返すタイプの人が、やはりいちばん多い。
美大生らしく「ゴシック体」とか「Go Pro」 なんて、そっち系の用語で返す人もいる。
季節柄か「豪雪地帯」、空腹なのか「ゴーヤチャンプルー」、しまいには「ごん、お前だったのか」などと、しりとり概念を根底から覆す人も出てくる。
ルールを守るためにゲームがあるのではない。ルールの範囲内で、どこまで遠くにボールを投げることができるか。どれだけ飛べるか遊べるか。そこにセンスや個性が出るのだ。
ということに、たかが「しりとり」でも、気づく人はすぐに気づく。
よし皆がクスッと笑るような言葉を探すぞ、斜め上の答えを出してみせるぞ… と張り切っちゃうタイプ。あるいは何も考えてないのに、他の人が予想もしない言葉が天然で出てくるタイプ。いろいろだ。
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言葉で「飛ぶ」能力をさらに要求される遊びとして、「連想ゲーム」もやってみる。これまた性格が如実に出て面白い。
第1ヒント「SNS」の一言だけで「”炎上”?」と当ててしまう、異様に勘の鋭い人がいたりする。
逆にヒントを出す側では、「炎上」という正解を引き出すために「ネット! 発言! 不用意! 火事! ……」とマシンガンのように言葉を繰り出すタイプもいる。
面白いことに、上手い角度からヒントを出して正解に導くのと、限られたヒントから直感的に正解を当てるのは、どうやら違う種類の能力らしい。
どちらかがズバ抜けて得意な人に限って、もう片方は全くダメだったりする。両方優れた人というのは、あまり見たことがない。
「名は体を表す」というが、口からポロっと出てくる言葉もまた、その人の「体」をくっきりと浮かび上がらせるものだ。
(2018.1.28)
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