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役割よりも個人


この夏、南欧を旅していた。観光地でトラムの係員に ”Ticket, please?”(乗車券を拝見)と言われ、あっバッグにしまっちゃったなとあわてて探していると ”No ticket? No ride.”(券がないなら乗せないぜ?)と怖い顔された。「あっ、チケットがないとダメか」とあせったら、彼は一転してウインクし、ポンと肩を叩いてそのまま通り過ぎていった。ジョークか!この国に惚れた瞬間である。

チケットは必ず見せなければいけないっていう「規則」遵守よりも「この人はチケット買って持っているな」と係員自身が判断したら、べつに無理やり出させなくてもいい。そのように裁量できる自由とか、係員という以前に個人としてジョーク飛ばしたりしちゃう空気感というか。労働観が根本的にちがうんだよなあ。

スーパーマーケットのレジでも、会計を終えると必ず ”Have a nice day.”(良い1日を)と言われ、こっちも”you too.”(あなたもね)と返すのが、こちらの常識。単なる定型かもしれないが、それでも、そこにいるのが「無名の係員」ではなく「ひとりの人間」であることを確認する儀式のような気がして、ぼくは好きだ。

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人を「役割」としてみることへの違和感が、常にある。働く人を「掃除のおばさん」とか「バイトくん」とか呼んだりする風潮。みんな名前のある一人の人間なのに。

たとえば自分の音楽の現場でも「音響さん」とか「照明さん」とか呼びたくないので、なるべく名前をおぼえて呼ぶようにしている。そうやってちょっとでも距離を縮めておく方が、いざというとき無理を言ってもこたえてくれる確率が上がる、という実利的な理由もあったりする(微笑)

結局のところ、どんな仕事もじっさいに動かすのは一人一人の「個人」なのだから。そのことは忘れないようにしようではないか。


(2019.8.20 『週刊ヲノサトル vol.46』 所収)

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