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恐縮ですが育児中! 〈最終回〉 遠い日の花火

「恋は、遠い日の花火ではない。」
1995年、サントリー・オールド・ウィスキーの有名なCMです。

恋という花火に酔いしれた若き日々が終わり、歳をとって落ち着いたと思っていても、また恋をすることはあるんだよ。また何か始まることがあるんだよ。それが人間だよ。と肯定してくれたこのコピーは、若造だった自分にも印象的でした。

けれども、恋愛よりも結婚よりも大きな花火が存在することなど、当時はまったく気づいてなかったのです。

そう、「子ども」という花火です。

経験者なら同感していただけると思いますが、子どものいる生活は、毎日それこそ花火大会のような大騒ぎです。とにかく目が離せない。予想もつかぬ行動。突然の高熱やケガ。天を見上げて「マジかよ!」と何度つぶやかされたことか。毎日の行動も食事も、常に「子どもをどうするか」がメインテーマ。常に「パパ、パパ」とひっついてくるので、子どもが寝つくまでは自分の時間なんかゼロ。

けど同時に、子どもならではの意表をついた一言に笑わされ、愛らしい挙動にほのぼのと癒され、すやすや眠る寝顔を見つめては得体の知れない幸福感に包まれた、あの日々を忘れることはできません。

うちは、息子が3歳の時に妻が亡くなり、その後は2人きりで生活してきました。育児に関して相談できる相手がいないのはデメリットだったかもしれませんが、全てを自分の思い通りにできる点ではストレスフリーだったとも言えます。

一つだけ言えるのは、妻を失った自分の心を支えてくれたのが、ほかならぬこの小さな息子だったということ。人間って、自分のために戦うよりも、守らなければならない相手のために戦う方が、強くなれる生き物なんですよね。

ともあれ、月日は過ぎました。

育児は、遠い日の花火になった。

高校生になった息子氏、もはや一緒に出かけたり行動することも、ほとんどありません。ひとりで勝手に起きて、ネットで情報調べて友だちと街に出かけ、どこか知らないけどほっつき歩いて、お茶のんで、ごはん食べて帰ってくる毎日。会話も「お金ちょうだい?」とか「食べ物ある?」とか、必要最小限。

身長も父を追い越しました。ゴツゴツした身体は、もはや少年というより青年。その存在感は、もはや男児というより男性。すでに、ほぼほぼ手はかからず、こちらも自分の仕事に集中できて、大助かりではありますが ── 

さびしくないと言えば、嘘になります。

なので毎週日曜日の、この記事の更新は、何かといえば「パパ、パパ」と自分にくっついてきた、あの小さな生き物を思い出しては、「たいへんだったけど、かわいかったよな」と、ちょっとしんみりする時間でもありました。

ノスタルジーに浸るのは、このぐらいにしておきましょう。

こんな個人的な話に最後までおつきあいいただき、

まったくもって恐縮です!


(2020.6.28 書き下ろし)

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ヲノサトル
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