恐縮ですが育児中! 〈13〉 読み聞かせ
美食家のブリア・サヴァランは「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言い当ててみせよう」と言いました。
当方としては「本棚を見せてくれたまえ。どんな人か言い当ててみせよう」と言いたい。
いや、何もそんな上から目線に言わずとも、本棚に性格が出るのは当然ですよね、いい大人ともなれば、選ぶ本のジャンルや指向って、その人なりに決まっているものですから。
けれども子どもの場合、成長に応じて、読む本はどんどん変わっていきます。
生まれて数年はとにかく絵本。それも文字がほとんど無く、シンプルで色彩が派手な、とにかくビジュアルを楽しむ本です。
もう少し大きくなると、絵本とはいえ文字量が多くなり、ストーリーも楽しめるようになる。
やがて言葉だけで書かれた小説なんかも読めるようになり、エッセイや論説文のような物語以外の書物も読むようになっていく。
……と、読書も「進化」していくのが普通ですよね。
しかし子どもの場合、当たり前ですが最初から自分で読めるわけではない。最初はとにかく親が「読み聞かせ」しなければならないわけです。これがけっこうな苦行なのです。
読みきかせ=寝かしつけ。夜寝る前に読んであげることが圧倒的に多い。当然こっちだって眠いわけです。
……と、寝落ちしてしまうこともしばしば。
育児書は、幼少期の読み聞かせを大絶賛。
などと東大にでも入れそうな素晴らしい効能が書かれております。
「眠い」などと弱音を吐いて読み聞かせをサボった日にゃあ、先々、子どもがグレてしまうと言わんばかり。
……みたいな殺伐とした未来予想図が頭に浮かぶ。
いかん、いかん! 金属バットはいかん!
眠い目を無理やりこじ開け、読み聞かせに没頭せざるをえません。
しかし、眠さのあまりロレツの回らない読経のような声で、お姫様だの子豚ちゃんだの魔法使いだの、下手な声優のように声色を使い分けながら音読していると、この苦行はいったい何の罰ゲームだ? 俺は山寺宏一か? と本質的な疑問を持つ事もしばしば。
最終的には開き直ってしまい、めんどくせえ!もう「読書」じゃなくていい!自分が楽しめる話をテキトーにでっちあげてやらあ!という境地に至り、アドリブで2次創作した昔話を取り憑かれたように語っていた時期もあります。
しかし、それも今となっては昔話。
子どもが小学生になった今、「パパは、自分の本でも読んでいてよ」などと言い放ち、好きな本を自分で読むようになってしまいました。
「え、今日の桃太郎は、最新バージョン考えたんだけどな……聞かない?」などと呼びかけても完全スルーされ、ちょっと寂しく思ってしまう自分がいたりします。
いやはや、親とは勝手なものですね。
まったくもって、恐縮です!
明和電機ジャーナル 第19期 第1号 (2012年5月15日発行) 所収, に加筆修整