
ルネサンスを知ってるかい
以前の記事にも書いたが、美大で例年『連想ゲーム』のワークショップをやってる。昔TV番組にあった、チームに分かれて言葉のヒントで正解を当てさせるアレだ。
答える側にもカンのいい学生はいるもので、「宇宙」と1つヒントをもらっただけで「人工衛星」とピタリ正解できたりする。
逆にヒントを出す側は、知識と語彙力が試される。なにしろ知らない言葉のヒントは出せない。
「宇宙」だけで答が出なかったら「打ち上げ」「周回」「軌道」「通信」「観測」「気象」「軍事」「スプートニク」「ひまわり」……これぐらいヒントが出されたら、もう答は「人工衛星」しかないよね。
+ + +
ある時、『印象派』というお題を出してみた。
ヒントを出す学生たちが口ごもる。
「フランス……。」「えーと、他には……なんだろ?フランス?」「……絵?」
おいおい、美大生なのにモネとかルノワールといった人名は出てこないのか。
次のお題は『ルネサンス』。
出てきたヒントは「ワイン」「ヒゲ」 以上。
ちょ…… ミケランジェロはどうした!まさかダ・ヴィンチを知らないわけじゃあるまい!
しかし考えてみれば、美大受験に美術史の出題があるわけじゃない。下手すればルネサンスも印象派も知らないまま、美大を卒業できてしまうのではないか。そもそも、知らないのが恥ずかしいという意識も、あまりないようだ。
べつに学生を無知だとわらってるわけではない。
学生に限らず、そもそも今の世の中じたい、どうも「知」や「教養」を軽視する空気が広がっているように思われる。何百年も前の異国の文化のような「目先の利益に結びつかない情報」など不要、と決めつけてしまいそうな今の日本を、彼らは反映しているだけなのかもしれない。
+ + +
よく思い出す、古い中国の話がある。
莊子曰「夫地非不廣且大也,人之所用容足耳。然則廁足而墊之致黃泉,人尚有用乎」
惠子曰「无用」
莊子曰「然則无用之為用也亦明矣」
荘子は言った。「地面に立つには、足で踏んでいる部分だけあればいい。ではそこだけ残して、他の地面を黄泉の国まで掘り下げたら、立っていられるか?」
恵子「無理だ」
荘子「つまり、無用な部分こそが役に立っているのだ」
(荘子『外物篇』より, 拙訳)
「教養」とは自分の足のまわりの、今は踏んでいない地面だ。その面積は広ければ広いほどいい。もしも遠くまで歩き続けたいのなら。
(2019.10.26 『週刊ヲノサトル vol.53』 所収, より加筆修正)
いいなと思ったら応援しよう!
