6年間の思ひ出(華の3年編)
華の3年、それは先人達がキツい地獄の2年を乗り越え、定期試験以外は何一つとしてキツいものがなく、部活や趣味に没頭できる様を見ていつの間にかつけられた称号である。
そして僕達も、数多の屍(留年した同期達)を見送り、地獄の2年を乗り越え、華の3年に足をかけようとしていた。
まさにその時だった。
大本営である大学当局が以下のような声明を発表したのである。
大学「なんか3年遊び呆けてる割に留年少ねぇな、せや2年から3年の全範囲で試験やって落ちたヤツ留年したろ!」
2年に衝撃が走る
試験が課されるだけでも厄介なのに、それが初年度という嫌らしさ。
初年度の場合、過去問が存在しないため、問題の傾向が分からずがむしゃらに範囲内を全て勉強せねばならぬ。
さらに言えば3年になると内科学や外科学、小児科学や産婦人科学、加えて薬理学や免疫学といった医師となる上でベースとなる授業が開始になる。
当然範囲も膨大。
それだけではなく2年次に行った基礎の範囲も含められる鬼仕様。
僕達が踏み出そうとした華の3年という足場は脆く、そして簡単に崩れ去ったのであった。
ここで3年の講義、試験内容を記しておきましょう。
1期
循環器内科学
消化器内科学
外科学
医学英語
免疫学
薬理学
寄生虫学
寄生虫学実習
臨床実習入門(2週間)
2期
脳神経内科学
呼吸器内科学
臨床疫学
薬理学実習
アレルギー・膠原病内科学
3期
内分泌代謝内科学
耳鼻咽喉口腔科学
放射線科学
血液内科学
腎・泌尿器科学
整形外科学
産婦人科学
小児科学
感染症科学
通年
病理学
病理学実習
ちなみに実習と名のつくものもしっかり試験があります()
ここで思い出して欲しい。
1年次医学系の内容を学びたいはずなのにやれ数学だ、やれ物理だと一見医学と関係なく(実は密接に関係しているのですが)高校の延長のような内容の講義内容にモチベーションが低下していたことを。
そう、ならばこの学年からモチベーションが急上昇するはずなのである。
するはずなのである。
しかしこの膨大な科目数と範囲を課された僕達にモチベーションなど皆無。ただひたすらに、壊れゆく自我を保ちながら暗記暗記の毎日が始まるのです。
さらに3期に至っては科目が細切れになっており一つ一つの科目の講義数が少なく、3分の2以上出席しないと試験の受験資格が剥奪されるルールとも戦わなくてはならないのです。
ここまでは以前までの3年と同じカリキュラム。
2年で飼い慣r……キツさに慣れた僕達はそこそこの余裕があり、部活の新入生を連れてご飯や飲みに行ったり趣味に時間を注いだり、まぁ試験期間以外は人権の保たれた大学生活を送っていました。
問題は大学当局が新しく課した進級判定試験。
(実際の名前は違いますが実態とカモフラージュを兼ねて上記の名前で取り扱います。)
これが11月に行われるため10月入る頃からソワソワし始めるのです。
ここで試されるのは情報収集能力と気力、そして体力でした。
2年次の科目の教授と仲の良い学生があの範囲出すって言ってたよといった情報を発信すればその範囲の過去問を集めたり、2年の講義でここ3年生にも必要になってくるかもしれないと教員が発言していたという情報を後輩から仕入れたり、とにかく持ちうる手段を駆使して情報をかき集め、2週間前になるとひたすら勉強に勤しみました。
そして何とか試験を突破すると医学部生活も折り返し。
4年ではOSCE、CBTといった全国の医学生が受けねばならない大きな試験が待ち受けているのですが、進級判定試験を乗り切った僕達は時が来るまで、またひたすらに遊び呆けるのでした。
(気が抜けたのか、この進級判定試験の後に行われた3期末試験で単位を落とし消えていく同期がチラホラいたとかいないとか。)
個人的にはこの進級判定試験によって同じ部活の親友が留年してしまい、気づけば仲の良い同期が同期ではなくなっていってるのに気づき悲しい気持ちになったのを覚えています。
(その後の学生生活で麻雀を打ったり飯に行ったりする仲の奴らのほとんどが下の学年になってしまい資料を上げたりしていました。今年国試のはずなので頑張って欲しい。)
また、3年の夏、東医体が終わったあたりから部活の幹部を引き継いでいくのですが、それはまた別の機会に。
次回は4年次について書いていこうと思います。
じゃまた。
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