名もなき男の歌
<映画インサイド・ルーウィン・デイヴィス
名もなき男の歌>コーエン兄弟監督
「やり切れない感」とか「どうしょうもない感」とか「哀れ感」とか「救いない感」が漂う映画って、結構好きかもしれない。
いわゆる「ペーソス・ユーモア映画」とか言うのかしら、、、
でも、この映画が飽きずに最後まで見せる理由は、やはり音楽が良かったからかもしれない。
そんな惹きつけられる音楽性を持っていながら、彼の音楽には「金の匂いがしない」、、、
レコード会社や世間が望むような音楽が、彼に出来ないのか、やらないのか、あるいは世間が何を望んでいるのか、実はよく見えない。
一人のアーティストの音楽と、それが社会との間にある隔たりって、一体なんだろう?
よく言われ方として、世間に媚びて音楽をやるのか、それとも自分の精神性を大事にするのか、、、
でも、この二者選択説って、そんな単純じゃないでしょうに、、、
ピーター・ポール・アンド・マリーやボブディランを彷彿とする存在も出てくる。
(実際にボブディランの未発表の音源が最後に流れる。)
彼らは主人公を尻目に、社会に認められていく。
残されていくものの、悲哀、、、、
この映画を見ちゃうのは、残されていくアーティストの、なんとも言えない気分を、私もそれなりに感じていた時代があったからかな〜
なんか、シンパシー感じちゃうのです。
とは言え、この映画のおかげで、出演者は結構ブレイクした見たい、、、
監督はコーエン兄弟という、サスペンスやコメディー映画で興業的に成功していている。
この映画は、ジャンル的に売れないが定説の内容を、実は売れなくても作りたかったのだと言われている。
監督やアーティストは売れると、自分が本当にやりたかった売れない内容をやらせてもらえるようになるのかな、、、ww
その意味ではコーエン兄弟は、メジャーに認められるために、うまく立ち回った。
その言い方に語弊があるなら、才覚があった、とでも良いかな、、、
社会的に認められるほんの一握りのアーティストと、その他、圧倒的なおおぜい、、、
その間にあるものを、私は理解できない。
話をこの映画に戻したい。
このどうしょうもない主人公の性格にも関わらず、元カノや理解者に愛されている。
それだけで、生きている。
それだけで生きていれば、いいよね、、、
最後に自殺してしまった相棒との曲を一人で歌うシーンで、涙が滲んだ、、、
この映画を、我が朋友のフォークシンガー、大塚まさじさんや、及川恒平さんに見てもらいたいな、、、
客演しているどらねこちゃんがめちゃ可愛いのも、この映画の魅力のポイント、、、
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