<ズラズラと「老」について思うこと、、、>

<ズラズラと「老」について思うこと、、、>

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 免許更新に従って、高齢者講習というものをある年齢以上は受けることになる。

運転技術的なことよりも、視力検査が主だ。

通常の視力だけでなく、視力回復時間(明るいところから暗いところに入った時の視力の回復にかかる時間)や動体視力など、5つの項目にわたり、検査される。

そして、自分が明らかに視力が劣化していることを思い知らされる。

つまり全ての項目において「老化」しているのである。


 私は来月で73歳の高齢者だが、実感的にはとても健康だ。

今までの人生の中で、今が一番健康感がある。

健康管理をしっかりやっていることもある。

バイオリズムが先天的に不調なので、基礎体力を上げることで、睡眠不足をクリアーしようとしている。

演奏者として、コンサートにいつもベストで臨みたいよね。

時差ボケでは、良い演奏は出来ない。


 だが、自分が健康を感じているのは、それだけが理由ではないと思っている。

それは、長い時をかけて、自己解放という、まあ自我の成長というものをテーマに生きてきたからだと、自負している。

囚われるものが少なくなり、自分らしい生き方ができるようになった。

それだけ生きるのが楽になり、それに従って健康感も、幸福感も高くなる。


 もちろん、それでも加齢は止まらない。

視力だけでなく、あらゆる面で老化している。

髪の毛は白くなり、シワが増え、加齢臭を美枝子に指摘されたりする。

何より、女性にモテなくなった。

多分、目に見えない男性オーラ、つまりフェロモンがなくなったのだろう。

実に残念である。www

だが、逆に変な気遣いをしなくて済むので、女性とのお付き合いも楽になった。www


 とは言え、自分が老境に入っていることに、あまり自覚はない。

多分定年退職があるような職業ではないからかもしれない。

親戚などは定年退職してからゴルフ三昧や、野良仕事三昧に入っている。

音楽はそもそも趣味みたいなものだから、退職したら音楽をやめて、ゴルフに明け暮れることもなさそうだ。


 定年退職は、もう亡くなった我が師匠、吉福伸逸さんに言わせれば、ある種のイニシエーションだ。

つまり今までのライフスタイルを卒業して、次なる成長の場に移行する人生のターニングポイントになる。

私にはそんな機会はなさそうで、つまり次なる成長の機会を持ち得ないかもしれない、、、

まあ、どんな老境に入るのか、73歳という年齢はハンパにすぎる。


 よくピカソの晩年の作品を幼児化として捉える傾向がある。

ピカソ自身「やっと子供の絵が描けるようになった」と独白している。

だが、あの絵は幼児の絵だろうか?

私にはそうは思えない。

あれは明らかに長い絵画創作生活を経てきた一級のアーティストがたどり着いた「老化」という成長の結果に他ならない。


 よく老人たちが、ボケなどで幼児化することを指摘される。

確かにそのような部分はあるかもしれない。

しかしあれは老化という成長のプロセスに起こる、自己解放の表出なのだと言われる。

幼児化や子供に退行することで、内的なプロセスを完了させようとしているのだと、吉福さんは言う。


 我がピアノもだいぶ老化している。

購入して30年が経った。

オーバーホールの時期が来ていると調律師に言われた。

ピアノの音質を聴きながら、実は私もそれは感じていた。

具体的には弦やハンマーを全部交換することになる。

数ヶ月かかるし、かなりの費用がかかる。

自分がピアノを弾けなくなる年齢を考えると今しかない。

80歳になってからオーバーホールしても、残された人生を考えると、遅すぎる。


 しかし、それだけの費用をかけてオーバーホールしたピアノが、今後一体どれだけ稼いでくれるだろう。

それだけの費用を償却できるだろうか?

もしかして、それだけ費用をかけた分、奮起して、音楽制作に勤しむかもしれない。

でもこの年齢なって、自分にプレッシャーをかける気にはならない。

自分のペースで、ノンビリというよりは、無理のない音楽生活を続けたいよね。

(とはいえバリバリやってるけど、、、)


 このまま行けば、いつかこのピアノの音質に満足できなくなる。

いや、もうすでに音質に満足しなくなっている。

それだったら、今のうちにオーバーホールするべきだよね。

オーバーホールすることで、このピアノは見違えるだろう。

もしかして経年変化による響板など楽器としてこなれて、新品よりも優れた音質を引き出すことができるかもしれない。

いやその可能性は高い。


 でも、この年齢でそれだけの費用をかけるのは、とても負担、、、

老後の生活費、どうする?

オーバーホールすることは、ほぼ決めているのに、逡巡しているのは、本当に潔くない、、、

これはもう朦朧老人だよね、、、www


 私の音楽は未完だ。

1989年にCD「フレグランス」をリリースして以来、今日までに30タイトルぐらいは積み重ねただろうか。

youtubeにも随分コンテンツをアップしたし、今もアップし続けている。

それでも何かやり遂げた感が乏しい。

聴き返すと未熟が目立って、がっかりする。


 今までの積み重ねが、なんの保証にもならない。

もちろん今までの音楽活動が自分の支えになっている部分もあるけど、、、

かつての演奏で「これ以上の演奏はもう無理かも」と思うところもある。

なので「もういいかな」と自己満足しちゃいたい。

音楽大変だし、オーバーホールにお金かかるし、、、

でも時折、今まで何もやってないような焦燥感、飢餓感に襲われる。


 音楽家としては、それなりに努力して来た訳で、以前よりは少しは上手になっている。

なので、全曲演奏し直したい衝動に、時折かられる。

私の音楽はようやく出発点に立ったばかりだ。

やるしかないかもね、、、


(え~、やるのかよ~、

もう勘弁してよ、、、

別に未完でいいじゃん、、、、

「私の音楽」なんてエゴじゃん、、、)

って内心の気分、、、

ああ~~ 楽したい~~

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