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愛しき猿の惑星(人格の成長について)
「愛しき猿の惑星」
人格の成長、自我の成長について、吉福さんと議論になったことがある。
吉福さんとは、議論というより、痴話喧嘩をよくしたものだった。
その時も「成長」という言葉を多用していた私を吉福さんは揶揄したんだね。
あいつは性格的にやなやつだった。www
吉福さんの最後の講演集「世界の中にあって、世界に属さない」にもあるように晩年は「成長」ということに悲観的になっていった。
彼は80年代からワークショップを精力的に続けてきたのは、他ならない「成長」への期待があったからだ。
しかし参加者の成長しないさま(彼の観点から)に、深く失望していたのだろうと思う。
そこから「人は成長などしない」と言い切ってみたのかもしれない。
吉福さんの以前の本を読めば「成長」という言葉は頻繁に見受けられる。
彼の活動の主軸をもし言葉にするなら他ならない「人格の成長」そのものだ。
つまり、それだけ「成長」に対して期待も強かったのだろうし、失望(絶望)も深かったのかもしれない。
その議論の最中に、ある参加者が「成長という言葉を聞くと、成長を強制されているようで、やだ、、、」と発言した。
私はぐうの音も出なかった。
吉福さんのニヤニヤしている顔を今でも思い出して、悔しい、、、www
先日、末永さんたちと会話している中で、やはりそれに近い話になった。
そして、彼も言い切っていた。
「結局さ、私たちも含めて、ここは猿の惑星なんだよね」
さ、猿の惑星!!!
みんなで大笑いしたけど、末永さんの絶望も伝わってきた。
付け加えるなら、吉福さんも末永さんも、その深い人間愛を私はよく知っている。
そして、そのような発言をしながらも、人間への信頼を失っているわけじゃない。
彼らのキャリアを俯瞰すれば、人間に対する深い愛情と信頼が、そのベースにあることはすぐわかる事だ。
そのことを踏まえて、私はこの二人の絶望感を受け止めたい。
吉福伸逸:著述家、翻訳家、セラピスト、2013年に他界
末永蒼生:著述家、色彩アートセラピスト、色彩学校主幹